藤田文武 政党は経営する時代

藤田文武(日本維新の会幹事長)

経営者から政治家へ

──そもそも経営者だった藤田さんは、なぜ政治家を志したのですか。


 私が漠然と政治家を志すようになったのは大学生のときです。うちの父親はいわゆる昭和の頑固親父みたいな人で、私は物心つくころから「自分のためだけじゃなく、世のため人のため日本のために働きなさい」と言われて育ちました。思春期ゆえの反発もあって、大学入学を機に実家を出て一人暮らしをするのですが、大学1年生のときに親父から便箋2枚くらいの手紙をもらったんです。そこには「あなたは五体満足で生まれてきて、優秀な頭と健康な体を持って国立大学まで入ったんだから、とにかく人の5倍努力して社会のために働きなさい」といった趣旨のことが書いてありました。それまでは親父への反発心もあったけど、私はすごく感動して、その手紙をずっと机に貼って大学生活を送りました。たまたま私が大学2年生のときにアメリカ同時多発テロが起こったりして、「世界が激変するんじゃないか」「日本はどうすればいいんだ」と真剣に考えているうちに、「指導者」になりたいと思うようになりました。そのとき指導者として思い浮かんだのが教育者、経営者、政治家の三つだったんです。前者二つを経験して、最後に政治家になろうと決めました。

 大学でスポーツビジネスを専攻していたこともあり、就職活動がスタートした当初は、大手広告代理店に入って華々しくビジネスして、経営者になって、政治家に......みたいな甘いことを考えていました。しかし、就職活動の際に、第一志望の大手広告代理店の最終面接で落とされたんです。なんとかもう一度チャレンジしたいと思い、親父に就職活動のために1年留年してもう一回同じ会社を受けたいと言ったら、「あほか。お前にはプライドはないのか。お前なんかいらんと言われたとこにもう一回入れてとはしょうもない。今すぐ卒業してフリーターになった方がよっぽどマシや」と言われたことを鮮明に覚えています(笑)。ならその広告代理店に発注する側になろう、泥臭くいこうと思いました。それで1年だけ高校の講師として働いたあとに留学し、帰国後にベンチャー企業に入って経験を積んだあと、自ら会社を起業したんです。

 でも、いざ経営したらめちゃめちゃ苦労して......。いろんな人に助けてもらいました。医療・福祉系の会社を経営して雇用や社会保障、障害者福祉への思い入れが強くなり、自分のやりたいことが積み重なっていたところへ、2012年に維新政治塾ができたんです。ふらっと試しに行ってみたのが、政治家としての第一歩でした。


──目指すは総理大臣ですか。


 政治家になったからにはトップを目指したいとは思いますが、名誉が欲しいわけではないので役職へのこだわりはありません。それに何十年もだらだらやるつもりは一切ないんです。なぜなら経営者でいる方が気楽だし、家族との時間もとりやすいでしょう。それに真面目に政治家をやれば、経済的なメリットは何もありません。これから数年間徹底的に勝負して、自分たちに政権を獲るのは無理だなと思ったら、スパッとやめてもう一回経営者に戻ろうと思っています。10年経ってもまだ50歳くらいなので、あと一商売、二商売くらいはできるなと。(笑)

(続きは『中央公論』2023年8月号で)

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藤田文武(日本維新の会幹事長)
〔ふじたふみたけ〕
1980年大阪府寝屋川市生まれ。筑波大学体育専門学群卒業後、高校教員やベンチャー企業の役員を経て独立、起業。2017年衆院選で大阪12区から維新公認で出馬するも落選。19年大阪12区の補欠選挙に出馬し、初当選。21年衆院選で再選。同年11月、幹事長に就任。
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