小沢一郎 3度目の政権交代は「次期衆院選」で――「日本改造」に向けて最終決戦

小沢一郎(立憲民主党衆議院議員)
小沢一郎氏
 1993年6月、自民党を飛び出した小沢一郎氏は自著『日本改造計画』を発表し、衆院選への小選挙区制導入をはじめとする大胆な改革を唱えた。あれから30年、非自民による2度の政権交代を実現した剛腕政治家が、「3度目」に向けて再び動き始めている。首相官邸が眼下に一望できる衆院第一議員会館の事務所で、最終決戦に臨む意気込みを聞いた。
(『中央公論』2023年12月号より抜粋)

政治改革は「道半ば」

――1993年に小沢氏が自民党を離党したことで自民党は分裂し、「55年体制」が崩壊しました。当時から一貫して目指してきた「政治改革」はどの程度、達成されたと評価しておられますか。


「百里の道は九十九里をもって半ばとす」という言葉があるように、まだまだです。やらなくてはいけないことがたくさんあります。ただ、大きな一歩を踏み出したことは間違いありません。


――93年の細川護熙政権、2009年の民主党政権と、非自民による2度の政権交代を実現しました。


 1回目の細川政権ができたのは僕が自民党を出たことが最大の要因でしたが、2回目の民主党政権は「正規」というか、小選挙区制による初の政権交代です。小選挙区制でなければ起こりえませんでした。


――民主党が下野し、自民党が政権に復帰した12年以降は「自民一強」「多弱野党」の状況が続いています。目指してこられた「政権交代可能な二大政党制」は遠のいているようにも見えます。


「二大政党制」は、二つの政党である必要はないのです。考え方や哲学の異なる二つのグループによる政権交代可能な議会制民主主義ということです。

 今の野党は、自民党の利権構造の蚊帳の外にいます。その野党が政権を取り、政権交代を実現することによって、汚職や腐敗の構造はなくなります。もっとも、こちらが長く政権にとどまれば、それはそれで新たな汚職や腐敗を生むでしょうが。長い権力は必ず腐敗します。だから、先人は議員の任期を定め、国民の手によって政権を選ぶことのできる仕組みにしたのです。

 1993年の細川政権樹立から2009年に民主党政権ができるまで16年かかりました。民主党政権発足の09年から数えれば今年で14年経ちますので、そろそろです。

――政権交代が「そろそろ」ですか。

 必ず実現します。「政権交代なんて実現しない」と言っている人も一部いますが、そういうふうに見られるのは、野党に「志」がないからです。何が何でも政権を取るという気持ちがないというか、見えない。だからマスコミにも馬鹿にされるのです。現在の社会状況の中でも選挙区で野党の候補者が一人であれば、絶対に自民党に負けません。1対1であれば絶対に勝ちます。政権を取れるかどうかは、野党が協力して候補者を一本に絞れるかにかかっているのです。

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