野田佳彦 痛感した総理の重責、再び非自民で担う覚悟あり

野田佳彦(元内閣総理大臣・衆議院議員)
野田佳彦氏
(『中央公論』2023年12月号より抜粋)

小選挙区選挙は「格闘技」

――野田さんが初当選し、「55年体制」の崩壊をもたらした1993年の衆院選は、中選挙区制の下での最後の選挙でもありました。


 私の選挙区だった千葉1区は、千葉市、市原市、八千代市、習志野市、船橋市というエリアでした。とてつもなく広くて、演説して回る体力的なきつさもさることながら、自治体ごとに事務所を設け、全戸配布のビラを用意してとなると、お金もかかるし、スタッフを揃えるのも大変。でも、野党の新人ですから、そういう労力をたくさんかけないと、有権者に覚えてもらうことすらできないわけです。

 じゃあ与党が楽かといえば、自民党は同じ選挙区にライバルがいるでしょう。政策では競争できないから、いきおい雑用をいかにいっぱいやるかの「サービス合戦」になる。そういう弊害も横目に見ながら戦っていましたので、心から「これは変えないと駄目だ」と感じていましたね。

 その思いは実現し、次の96年の総選挙では、小選挙区制が導入されました。これはもう、劇的な変化でしたよ。勝負という側面で見ると、相手の出方をうかがいながら表彰台を目指す陸上や水泳競技から、お互いの襟首をつかみ合う1対1の格闘技に転向した感じです。敵の姿はよく見えるし、向こうからも丸見え。今度は「戦場」が狭いから、ありもしないことを書き連ねた怪文書を自転車置き場で集中的にまかれる、という形の「反則技」を仕掛けられることも、何度もありました。


――その2度目の選挙では、僅差での落選を経験されました。小選挙区の怖さも思い知らされたわけですね。


 300ある小選挙区のうち、最後まで勝敗が分からない議席でした。開票率99%の段階まで勝っていたのに、疑問票が有効か無効かを判定するところで、まさかの逆転負けを喫してしまった。当選した自民党候補とは、僅か105票差でした。なぜあんな負け方をしたのか、という後悔ばかりの苦い思い出です。

 まあそんな様々な苦労もしたのですが、選挙制度自体は、どういうやり方を採用しても功罪両面があるでしょう。政権交代の可能性を常に用意するという点で、基本的に今の制度を是とすべきです。その考えが揺らいだことは、一度もないんですよ。

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