野田佳彦 痛感した総理の重責、再び非自民で担う覚悟あり
マネジメントを欠いた民主党
――政権交代可能な二大政党制の実現を目指して小選挙区制が導入されたものの、2012年に野田総理が退陣されて以降、「自民一強・野党多弱」の構造が固定化された感があります。この状況で次の政権交代は可能なのでしょうか。
政権の座に返り咲いて以降の自民党の「強さ」には、いろいろな理由があるでしょう。彼らがうまかったのは、政権維持のために、他党の中から有力なパートナーを見つけて味方につける戦術に徹したことです。選挙制度改革は、与党自民党にとって痛手だったはず。実際、政権交代も起こりました。そうした中で、彼らなりに学んだ結果として、公明党と組み、今は日本維新の会などにも手を伸ばそうとしているでしょう。そういう知恵、あえて悪知恵というと怒られるかもしれませんが、そこは我々よりもずっと長けていた。
対野党という点では、特に安倍晋三さんはレッテル貼りも上手でした。
――安倍さんが繰り返した「悪夢の民主党政権」というフレーズは"秀逸"でした。多くの国民はそこまでは思っていなかったかもしれないですが、「悪夢」のイメージが定着してしまいました。
でも例えば、今自分たちの政策のように語っている教育無償化は、民主党政権下で自民党がバラマキと批判していた高校授業料の無償化や「子ども手当」から始まっている流れですよね。我々のやったことを10年経って追いかけているわけですが、そういうこともお構いなしに、とにかく民主党がやったことは「悪魔の所業」にほかならない、と。(笑)
そうした点は、これからも冷静に説明していく必要があるのですが、一方で国民のみなさんの期待に十分応えることができなかった民主党政権の責任も、大いに自覚しています。そのことが、結果的に再度の政権交代を遠ざける要因になっているのは、紛れもない事実ですから。
――野田さんは、どこに一番の問題があったとお考えですか。
我々は、「自分たちが政権を取ったらこれをする」というマニフェスト(政権公約)作りに力を入れました。その取り組みが、金やしがらみなどではなく、政策で争う選挙の実現に貢献したのは確かだと思います。
しかし、いざ選挙に勝って政権の座に就いてみると、政権をきちんと維持していくためのマネジメントのところで、様々な問題に耐えうるだけの力量を欠いていたんですね。中でも意思決定の仕方、プロセスが曖昧だったのは問題でした。経験不足もあったのですが、政権交代可能な政党としては未熟な政権運営だったと、素直に認めざるを得ません。
未熟さの結果、起こったのが「政治主導」の履き違えという問題です。本来、政治がイニシアチブを取り、官僚を動かしながら協力していかなくてはいけないのに、ともすれば彼らを抑え込んで自分たちがやるんだ、というスタンスになってしまった。「官僚にお任せ」の政治を何とかしたいという思いがあったとはいえ、結局両者の関係がギクシャクして、肝心の政策実現に支障をきたすような状況を招いたのは、大きな失敗でした。そこは、民主党政権の最大の反省点だと思っています。
(続きは『中央公論』2023年12月号で)
構成:南山武志
1957年千葉県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。松下政経塾に第1期生として入塾。千葉県議2期を経て、93年に日本新党から出馬し衆議院議員初当選。民主党政権で財務大臣を務めたのち、2011年に第95代内閣総理大臣に就任。