派閥解消で政治が改まるという幻想...「私的な集団」が権力を握るということ

待鳥聡史(京都大学教授)×河野有理(法政大学教授)
待鳥聡史氏(左)、河野有理氏(右)
(『中央公論』2024年5月号より抜粋)
目次

派閥はすでに形骸化していた

河野 自民党派閥の政治資金パーティーをめぐる裏金問題が発覚して以来、派閥への批判が高まり、岸田文雄首相が自ら会長をつとめていた派閥・宏池会(岸田派)の解散を突然に宣言するにいたりました。奇遇にも今日(3月1日)は衆議院政治倫理審査会の2日目で、昨日は岸田首相が現職の内閣総理大臣として史上初めて出席したタイミングです。


待鳥 今回の事件を受けて、派閥解消論が囁かれるようになった時、ずいぶん久しぶりに聞いた懐メロだな、というのが第一印象でした。しかも素人がカラオケで歌っているよう(笑)。派閥と言っても歴史的にその実態は何度か変わっているのに、岸田首相を含めた当人たちが、様々な時代の派閥のイメージがないまぜのまま議論している印象があります。


河野 懐メロというのはまさにその通りで、私も寂しさみたいなものすら感じました。「金丸信の自宅から金塊が見つかった」といった、かつての金権政治の時代と比べると、ノルマ以上にパーティー券を売るとキックバックがもらえる、のような話は、正直言ってあまりにもスケールが小さく感じられます。


待鳥 政治家の裏金の額としては、かつてとは比較にならないですね。

 岸田首相の独断だったかもしれないとはいえ、実際に派閥解消に踏み切れて、かつ結局はみな追随せざるをえないのは、すでに派閥の実質が失われていたからでしょう。そもそも無派閥の議員も増えていますし、かつての竹下派などの時代だったら、「パーティー券売るのがしんどいから辞めます」なんて言う議員がいれば許されなかったように思います。


河野 そう思います。ただ政治学者の大半は、30年前の平成の政治改革で、派閥は実質的にはほぼなくなるだろうと考えていたのではないかと思うんです。ところがショボショボと続いて、昔の手癖が出てしまったというのが今回の問題なのでしょう。政党助成制度によって党執行部に資金が集まり、候補者の公認権も執行部が握るようになって、派閥の力も意義も失われていた。それなのになぜここまで続いてしまったのか。


待鳥 衆議院議員、参議院議員、地方議員が異なる選挙制度で選ばれるのですから、そのままでは当然まとまりを欠く。それをつなげる機能を、派閥はカネによって今なお密かに担っていたのかもしれません。

 政治改革の時にやり玉に挙がったのが、主に人事を梃子にした、拒否権プレイヤーとしての派閥です。政党を理念に基づいてトップダウンで物事を決めていけるものにするという時に、抵抗勢力としての派閥が障害になる。こうした側面は政治改革によって著しく弱まったと思います。ただ、派閥には人事以外の機能もあったので、それらがすべて失われたわけではなかったことが、今回明るみに出たのでしょうね。


河野 政倫審などでは、キックバックに関して安倍晋三元首相の指示があったのかとか、誰が責任者なのかといった「人」にフォーカスされがちですが、待鳥先生とお話しするのであれば、政治改革以降の30年を派閥が生き長らえた理由を、歴史や制度の面から議論できればと思います。

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