派閥解消で政治が改まるという幻想...「私的な集団」が権力を握るということ

待鳥聡史(京都大学教授)×河野有理(法政大学教授)

自民党派閥の三つのフェーズ

河野 派閥がデモクラティックな集団であると擁護されたり、民主主義を毀損する元凶として語られたりしてきたというお話は興味深いです。

 そもそも自民党に派閥が必要だった最大の理由は、1955年の結党の際に総裁の公選制が導入されたことにありますよね。当初は衆参の議員と地方議員による選挙から始まり、それによって誰を総裁に担ぎ出すかをめぐって多数派形成が必要になり、派閥が系列化されていきました。

 これと対照的なのが共産党です。「民主集中制」をとる共産党は絶対にリーダーを公選では選びません。それは公選にした途端に分派が生まれることを理解しているからでしょう。それを派閥と呼ぶか、グループあるいはファクションと呼ぶかは問題ではなく、リーダーを公選で選べば、派閥的なものが生まれるのは必然なのだろうと思います。

 とはいえ、派閥のありようは一つではありません。先ほどの渡邉の『派閥』で描かれている時代はかなり緩くて、派閥からお金をもらっても総裁選でその領袖に投票しないこともあると書かれている。


待鳥 総裁公選制が導入された当初の、まだ緩かった時代のことは忘れられていますよね。

 徐々に派閥支配が強まる中でのターニングポイントは78年、大平正芳が福田赳夫を破った総裁選ではないでしょうか。あの選挙から予備選挙として議員以外の一般党員まで投票できることになり、とにかく党員を増やし、派閥に系列化する必要が生じました。猫や死んだ人まで投票しているなんて噂もあったほど、組織末端にはノルマと締め付けが生まれ、国会議員も複数の派閥に所属することは皆無になった。また、一般党員を増やすことで生じる経費は事実上政治家が賄うので、派閥ごとの集金システムも確立する必要が生じたのだと思います。


河野 この系列化の恩恵を最も受けたのが、田中角栄率いる田中派だったわけですよね。一般党員を巻き込む総裁選というゲームをつくったものの、キングメーカーは田中角栄になってしまった。保守本流を自任する宏池会は人・カネ集めではまったく勝てないし、福田がつくった清和会も「保守傍流」の立場に甘んじることになってしまいました。宏池会が自らを政策集団と位置づけるようになったのも、田中派への対抗戦略だったように思います。


待鳥 まったくもっておっしゃる通りで、自民党の派閥政治は「田中派以前」、「田中派以後」、そして「政治改革以後」のフェーズに分けて考えないといけません。


河野 田中派以後の自民党派閥をまとめたのが、佐藤誠三郎と松崎哲久が86年に出した『自民党政権』です。派閥均衡人事や総幹(総裁・幹事長)分離慣行の定着を実証し、派閥の制度化を緻密に分析した名著ではあるのですが、田中派以降に完成されたシステムをモデルとして固定してしまったきらいがあります。

「ミネルヴァの梟(ふくろう)は黄昏(とそがれ)に飛び立つ」ではないですが、渡邉が描いた派閥形成期よりも、むしろ制度化が完成した状態の方に関心が向いている。同書にあるように、完成したシステムが、「自己変革」を遂げるか、それとも「化石化」するかの岐路にあるというのが佐藤たちの認識でした。


待鳥 『自民党政権』は名著ですが、派閥の完成型をスナップショットで描き出し、分析しています。それはイケアやニトリの売り場にある見本の組み立て済み家具のようなもので、組み立ての過程の大変さを想像するのは難しい。(笑)


河野 だからこの本が描いた派閥政治を、55年体制下を通じて存在したものだと思って読んでしまうのは、実は危うい面がありますよね。


(続きは『中央公論』2024年5号で)

構成:柳瀬 徹

中央公論 2024年5月号
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待鳥聡史(京都大学教授)×河野有理(法政大学教授)
◆待鳥聡史〔まちどりさとし〕
1971年福岡県生まれ。京都大学法学部卒業、同大学大学院法学研究科博士後期課程退学。博士(法学)。専門は比較政治論など。著書に『首相政治の制度分析』(サントリー学芸賞)、『政治改革再考』など。

◆河野有理〔こうのゆうり〕
1979年東京都生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。専門は日本政治思想史。著書に『明六雑誌の政治思想』『偽史の政治学』、編著に『近代日本政治思想史』など。
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