越 直美「自治体も企業も多様性なくして成長なし」

越 直美(三浦法律事務所弁護士)
越 直美氏
 2012年に女性としては最年少で市長に就任した越氏。なぜ立候補しようと思ったのか。20年までの市長経験の中で得られた気付きや教訓とは。これまでを振り返りつつ、現在の活動も語る。
(『中央公論』2024年7月号より抜粋)

「自由に選択できる社会」のために

 大津市長に就任した2012年当時、36歳だった私は「史上最年少の女性市長」とメディアに取り上げられました。出馬を決断するまでの2年間は、「女性だから」という面での不安は特にありませんでしたが、何度も司法試験を受けて弁護士になったこともあり、「苦労して弁護士になったのに、落選したらどうしよう」とかなり迷いました。


 その際、市長になって実現したい政策を手紙に書き、国会議員など有識者の方々に送ってみたところ、否定的なお返事が多かったです。さすがに「女性だからダメ」という意見はありませんでしたが、「若すぎる」「政治や行政の経験がない」などと言われました。断念しようかとも思いましたが、私にはどうしてもやりたいことがあったので、諦めずに挑戦しました。それは、女性が「仕事か子育てか」の二者択一ではなく、「自由に選択できる社会」をつくることです。


 きっかけは、米国ニューヨークの弁護士事務所で働いていた09年のこと。同僚のアメリカ人の男性弁護士が、1年間の育休を取りました。今でこそ日本でも男性の育休取得が増えてきましたが、当時は珍しく、大変驚きました。


 改めて日本の状況を調べてみると、当時は5、6割の女性が1人目の子どもを授かった後に仕事を辞めていました。私の周囲にも出産を機にキャリアを諦めたり、子育てと仕事の両立に苦労したりしている女性たちがいました。最大の原因は、保育園不足です。この問題を解決すれば、人口増にもつながるだろう。そう考えたとき、私の大好きな出身地、大津市で実現したいと強く思いました。


 保育園を増やすにはその権限を持つ市長になればいい。私にとって市長になることは、保育園を増やすための手段であり、決してゴールではありませんでした。出馬を後押ししてくれたのは、友人からの「自分にしかできないことをやるべきだ」という言葉です。やりたいことへの真の情熱があれば、若いからこそ、経験がないからこそ、そして女性だからこそ、できることがあるはずだと考えました。

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