尾身茂分科会会長「これからも国に言うべきことは言っていく」
聞き手:牧原出(東京大学先端科学技術研究センター教授)
牧原 一回目の緊急事態宣言が出された時は、コロナの対策を分析する政府の専門家会議が強いメッセージを出し、私は、引き気味の政治と比べて、その姿勢を「前のめり」と表現しました。その際の思いを尾身先生は「ルビコン川を渡る」と語っていらっしゃいました。その後、「あたかも専門家会議が政策を決定しているような印象を与えてしまった」として、専門家会議が改組され、現在の「分科会」となった経緯があります。専門家会議の時と、分科会の時では、発信の仕方に違いがありますか。分科会は相手が官邸なので、提言や発信を自制されたことはあったのでしょうか。
尾身 専門家会議は元来厚生労働省のもとにある会議で、分科会は内閣官房にあるという違いがあります。また、分科会は専門家会議と違い、知事や経済学者もメンバーとなっています。しかし、提言という意味では、専門家会議の時と同じくらい頻回にやっています。今回は政府全体との交渉なので、国が必ずしも聞きたくないようなことを申し上げる際には、それなりのエネルギー、覚悟が必要でした。
昨年二月頃は、感染症の特徴などについて主に提言していました。今回は、飲食店の時短の問題など、社会・経済に多大な影響を与えることを中心に提言してきました。まあ、前回も、国民に人との接触を減らすよう求めた「八割削減」のように強いことも言いましたが(笑)。今回も強いことを言っており、そういう意味では「ルビコン川を渡った」という感覚は、今も一緒です。必要なことは言うべきだと思っています。
硬かった「GoTo」
牧原 政治と科学の関係は、これまでも問われてきています。科学が政治に関わる時、原発事故の時がそうですが、行政や産業界と一体となった専門家が、「原子力村」と批判されたように、産・官・学がタッグを組みすぎた問題が浮き彫りになりました。しかし、今回のコロナ禍では、専門家会議や分科会に参画している医療・公衆衛生の専門家たちは、自立して結集したボランタリー・アソシエーション(自発的結社)だと思います。インフォーマルな議論を綿密に重ねた上で提言を公表、それを踏まえて政策が決定されるというのは、新しい科学と政治の関係です。それは日本の市民社会が、ある意味、成熟してきたからと言えるのではないでしょうか。一方で、分科会からの提言がうまく政策につながらないことはありましたか。
尾身 一年以上、この仕事に携わってきましたが、ほとんどの提言を国や厚労省は採用してくれています。だけど、国にはここは「硬い」、つまりなかなか譲れないところが間違いなくあります。ただし、分科会の提言と国の考えが違うということはあって当然だと思っています。
ちなみに、「GoToキャンペーン」は硬かったですね。
私たち分科会は十一月二十日、感染拡大地域では知事の意見を踏まえ、「GoTo」などの運用を見直すよう提言しました。感染しても無症状のことが多い若い人は、気がつかないうちに感染を広げていました。これは、彼らではなく、ウイルスの責任です。ただ、若い人はアクティビティが高いから、どうしても家族や高齢者に感染を広げてしまいます。
しかし、政府は十二月一日、六十五歳以上の高齢者と基礎疾患がある人に対して「GoTo」での東京発着の旅行を自粛するように呼びかけるとの方針を表明しました。菅首相と東京都の小池百合子知事が合意したものです。
この方針には、専門家の間で非常に大きな違和感がありました。高齢者の感染は結果であり、原因は、若い人たちの移動にあります。我々は世代間を分断するのはよくないと考え、敢えて「皆さん、旅行を控えて下さい」と言ってきました。それなのに、高齢者だけに自粛を呼びかけるなんて、私たちの言っていることが理解されていないと感じました。
また、一時停止をめぐっては、「都知事の判断で」という国と、「国の判断で」という都との間で「さや当て」もありました。国と自治体の一体感がない印象を与えました。
よく、分科会と官邸の関係がうまくいっていないのではないか、と言われますが、専門家会議の時より今のほうが、意見交換の頻度は格段に多くなっていると思います。私は西村大臣とは毎日会っていますから、国の考えは大体わかりますよ。おそらく、西村大臣を通して私たちの考えも官邸に伝わっていると思います。ただ、当然、官邸には「ここだけは譲れない」という部分があるのです。