雨宮智浩 メタバースはセカンドライフの轍を踏むか

雨宮智浩(東京大学准教授)
写真提供:photo AC
 2022年の「新語・流行語大賞」の候補に選ばれたメタバース。その中に暮らす住人も生まれつつあり、食事も睡眠もVRゴーグルを被ったまま行う人がいるという。そもそもの定義、誕生から今に至るまでの変遷、一時的流行に終わるのかといったことなどを、雨宮智浩・東京大学准教授が論じる。
(『中央公論』2023年2月号より)

メタバース狂騒曲

 2022年7月に東京大学がメタバース工学部の設立を発表し、大きな話題となった。9月23日には開講式がメタバースプラットフォーム上で開催された。メタバース工学部は正式な学部ではなく、社会人や中高生など幅広い年代を対象とした教育プログラムの総称で、メタバースの活用も計画されている。

「そもそもメタバースとは何ですか」という質問をされることが多い。このご時世、検索エンジンで検索すればすぐに答えが見つかりそうなものだが、この用語は実に辞書泣かせなバズワードである。米国の老舗辞書出版社Merriam-Websterのサイトには、メタバースは定義が「不安定」と記載されているほど。現時点では「オンラインで社会的活動が可能なバーチャル空間」というのが、広く合意が取れている定義の一つだ。

 メタバースでは同時に複数のユーザが接続でき、自己が投射されたアバター(3DCGのキャラクタ)が存在し、その空間内に3Dオブジェクトを自由に創造することができる。定義が不安定になる理由には、メタバースの源流を、ソーシャルVRとする流派と、ブロックチェーン技術(分散型台帳技術)やNFT(非代替性のお金に代わる印)などとする流派の二つがあり、両者の交流が進んでいないことが考えられる。さらに各社が自社のサービスに都合の良いように「メタバース」を解釈した結果、定義の多様化が加速した。そのうえ、日本国内ではメタバース関連団体が乱立する事態となったのも、混乱の傍証と言える。

 手垢が付く前のメタバースという言葉は、『スノウ・クラッシュ』という1992年に発売されたSF小説の中で誕生した。2003年の新版のあとがきで、作者のニール・スティーヴンスンは「バーチャルリアリティ(VR)」という言葉が気に食わなかったのでそれを使いたくないがために「メタバース」という用語を発明した、と述懐している。つまり、メタバースとVRの思想はもともと同じ起源であることがわかる。

 ではVRという言葉は何を意味するのだろうか。家電量販店で売っている「ゴーグル」のことだと思われる方が多いかもしれないが、VRとは「みかけや形は原物そのものではないが、本質あるいは効果としては現実であると感じさせる技術」のことである。つまり視覚に限定せず、人間の五感に巧く情報を提示して、まるで現実であるかのように感じさせる技術を指す。VRという言葉が最初に商用利用されたのは平成元(1989)年で、ある製品のキャッチコピーとして用いられた。その後、こうした研究領域に名前を付けようとなったときにVRが選ばれたという経緯がある。

 2016年にはコンシューマ向けのHMD(ヘッドマウントディスプレイ、VRゴーグル)やVR対応ゲーム機が相次いで登場した。家電量販店でVRゴーグルを見かけるようになったのもこの頃である。18年2月、東京大学に連携研究機構バーチャルリアリティ教育研究センターが設立された。筆者は現在このセンターに所属しているが、学生だった20年ほど前には国立大学の中に「VR」を冠した全学的な組織ができる日が来るとは夢にも思わなかった。

 最初にメタバースがビジネス界で注目されたのは、00年代中期の「セカンドライフ」によってである。セカンドライフは03年に米国リンデンラボがリリースしたサービスで、「リンデンドル」と呼ばれるデジタル上の仮想的な通貨を使って、3DオブジェクトやVR空間内の土地を売買できた。日本企業もこぞって参入し、大きなブームを巻き起こした。現時点でも同時接続ユーザ数は2万人を超え、年間GDP(国内総生産)は約6億ドル相当であり、いまだに世界で一番成功しているメタバース的なサービスと言えるだろう。しかし、ブームが過ぎ去ったという一点をもって世界的には失敗と解釈されている。

 その後メタバースという言葉は表舞台から消えたものの、MMO(多人数同時参加型オンライン)と呼ばれるオンラインゲーム「あつまれ どうぶつの森」「ファイナルファンタジー14」が普及し、Epic Games(米国に本社を置くゲーム開発企業)の「フォートナイト」では本来のゲーム攻略とは別のミニゲームやライブなどの楽しみ方も広まった。「ロブロックス」や「マインクラフト」などのサンドボックスゲーム(達成すべき目標が課されず、自由に行動できるタイプのゲーム)も人気を博してきた。また、ゲームのような明確な目的を持たないアバターを介した交流も盛んに行われるようになり、ソーシャルVRやVRSNSというジャンルが確立されてきた。

 メタバースという言葉が再び注目を集めたのは21年10月のことである。GAFAM(Google、Amazon、Facebook、Apple、Microsoft)の一角であるFacebookが社名をメタ(正式にはMeta Platforms)に変えて、メタバース関連事業に年間1兆円超を投資すると表明したことが決定打と言えよう。盛り上がりを見せている分野にメタバースという語が事実上選ばれたのがその背景である。

 しかし、定義がぐらついているようなこのバズワードをなぜ使いたがるのであろうか。主な理由として、メタバースが持つ可能性や将来性の高さが挙げられる。世界をもうひとつ作ることができ、そこには現実世界と同じかそれ以上の規模の経済圏が存在する可能性が高い。投機的なメリットが注目を集めるだけでなく、我々のライフスタイルの多様化・多重化を支える基盤となる可能性も秘める。22年8月には総務省が「Web3時代に向けたメタバース等の利活用に関する研究会」を立ち上げた。そこでは、新しい世界が本格的に運用されるときに備え、メタバースの様々なユースケースを念頭に置きつつ、情報通信行政に係る課題を整理することを目的とした活動が進んでいる。

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