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鈴木涼美 権力者が「わきまえる女」を好きなのは当たり前、女性たちの戦いの核心はどこにある(斎藤美奈子『モダンガール論』を読む)

第3回 100年越しの女の味付け(斎藤美奈子『モダンガール論』)
鈴木涼美

「オヤジなんて手玉にとってなんぼ」だった世代

 2017年に、森友学園問題をめぐる証人喚問で使われた「忖度」という言葉が取り沙汰され、新語・流行語大賞まで受賞したことがありました。その時も、別の言語への翻訳が難しいとか、日本の政治の病理を言い表しているとか言われましたが、「わきまえる(弁える)」もまた英訳がバラつく曖昧な表現ではあります。ただ、新明解国語辞典を引くと「(自分の置かれた立場から言って)すべき事とすべきでない事とのけじめを心得る」とあり、これだとずいぶんわかりやすい。森発言を邪推すれば、国際的な見栄えとして、あるいは職場の花としてそこに呼ばれているという自分の立場を把握し、本質に迫るような議論をしたり、自分の意見を述べたりする必要がないと心得ている女性が「わきまえる女」ということになるのでしょう。ついでにその場の花として、お酒でも酌んでくれて、褒めたり崇めたりして男を盛り上げてくれればなお結構。
 自分に既得権益があるのなら、そこに波風を立てない「わきまえる女」が好きなのは当たり前です。森発言自体には、日頃から男女不均衡への抗議活動をしている人以外の、ごく一般的な人や男性論者らの非難も集まりましたが、その後に盛り上がった「#わきまえない女」たちの発言には、一部から「森発言は国際的に恥ずかしいから批判していいけど、そこまで元気づいてくれては困る」と言わんばかりのさりげないバッシングがありました。わきまえない女が増えては困る人たちはたくさんいるでしょうから、それほど意外性はありません。
 忖度にしろ弁えるにしろ、権力者の気持ちを慮って、下々の者が勝手にする気遣いです。森氏のような圧倒的な権力者が使えば、要は「俺の気に入らないことをするな」という危険な恫喝のニュアンスを帯びますから、民衆が抗議するのは真っ当な判断だと思います。個人的には、この古い価値観を一蹴せよというような「#わきまえない女」というハッシュタグを見たときに、森氏や権力者らに向けられているだけでなく、今の若者たちの真上にあった流れへのアンチテーゼとしても機能しているようにも感じました。女性運動なんてもう古いと反発して、援助交際ギャルとして自ら性差不均衡を強化する方に突き進み、『JJ』や『CanCam』といった雑誌でモテの極意を学び、オヤジなんて手玉にとってなんぼだと楽観していたのは、まさに私自身の世代ですから、耳が痛いような気もしました。

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