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鈴木涼美 ピンサロ嬢のお姉ちゃんの強くて美しい魂は、最も汚れ蔑まれる場所で咲く(西原理恵子『ぼくんち』を読む)

第8回 ありえないほど汚れた場所の、ありえないほど高貴な信仰(西原理恵子『ぼくんち』)
鈴木涼美

強いられる貧しさ、抗いようがない人生

『ぼくんち』 は「海と山しかない小さな土地に貧乏人とガキがへばりついて生きている」ような場所が舞台で、はしに行くとどんどん貧乏になるその町の一番はしっこにある家で育った二人兄弟の次男坊が主人公です。ただその一番はしっこの「ぼくの家」も、物語の序盤で人の手に渡ってしまいます。3年帰ってこなかった母が帰ってきて、今度は家の権利書と一緒に再び家出してしまうからです。母の代わりに家にはピンサロ嬢のお姉ちゃんがやってきて、それ以後、お姉ちゃんと兄弟は三人でしばらく暮らすことになるのですが、その後、今度はお兄ちゃんがこの町にいる多くの若者と同じように、悪いことをしながら独り立ちしようと家を出ていくことになるので、「ぼくの家」は場所も構成員も常に揺らいでいる、とても危ういものに違いありません。

 町の人々はとにかく貧乏でいい加減な人が多く、その人生も実に不運の連続でクソみたいなものばかりですが、お姉ちゃんは「泣いてるヒマがあったら、笑ええっ!!」と教える人で、町の人たちもぶつぶつ文句を言ったり悪事を働いたりしてはいても、悲壮感に溢れることなく、結構笑って、或いは泣きながら笑っています。川原の小屋で鉄や銅を売り買いしている鉄じいという人物は、大雨で小屋が川に流されても、「貧乏て ええと思わんかー」「こんな時ちょっとも困らんで」「なくすもんがありすぎると人もやっておれん」「両手で持てるもんだけで、よしとしとかんとな」と大声で笑います。かといって、別に町の人たちが前向きで、プラス思考で、明るく生きているというわけではなく、抗いようがなく貧乏であったり不運であったりすることの不条理を時々強く感じながら、しかし抗いようがないということだけは確信して、その中に笑い顔で存在するのです。

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