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鈴木涼美 ピンサロ嬢のお姉ちゃんの強くて美しい魂は、最も汚れ蔑まれる場所で咲く(西原理恵子『ぼくんち』を読む)

第8回 ありえないほど汚れた場所の、ありえないほど高貴な信仰(西原理恵子『ぼくんち』)
鈴木涼美

大好きな人達の手はみんなびっくりするほど小さい

 お兄ちゃんのワルの師でもあるこういちくんという不良も、神様について言及することがあります。「つらいけど、人はね、神様がゆるしてくれるまで、何があっても生きなくちゃいけない」とされる時の神様は、人が触ることのできない、暴力的なほど大きな力を持っていて、「ゆるして」もらわなくては困るけれど、それまで強いられるのは、貧しくて、いいことなんてなかなかなくて、しんどくて、どこかしら身体の具合が悪くて、騙したり騙されたりばかりするような生であって、何か良いめぐみを与えてくれるような存在ではありません。救済は最後に与えられる死だけであって、何かお願いごとを叶えてくれるような信仰はそこにありません。こういちくんは、弟子のようなお兄ちゃんに対しては「自分の人生に、なれなさい」と貼り付けたような笑顔で言うだけです。

 主人公のぼくはまだ何も知らない、色々な町の人たちの言うことを吸収して学び取っていく存在です。それに対してピンサロ嬢のお姉ちゃんは、仕事をしている姿は汚いおじさんに乳を揉まれてお兄ちゃんの目で見てとても「かっこわるい」のですが、世界の理を知っていて、降りかかる現実を全て受け止めながら兄弟を守ってくれる存在です。お兄ちゃんが出ていった後も、「ねえちゃん知ってるもん。男はな、犬と一緒や。一回ションベンかけたとこにはきっと帰ってくる」と笑顔で言います。お兄ちゃんはこういちくんに臨時収入をもらうとお金を持って弟とお姉ちゃんを訪ねますが、弟は自分の欲しいミニカーとお姉ちゃんのお菓子の代金の二千円だけ欲しがり、お姉ちゃんは「ねえちゃんの手、小さいやんか。あんまりしあわせ持ってきてくれてもな、こぼれてしもてもったいないわ」とお兄ちゃんを抱きしめるだけです。そしてお兄ちゃんは「ぼくの大好きな人達の手はみんなびっくりするほど小さいことを、なんで今まで気づかなかったんだろうと、何度も何度も考えた」と学ぶのです。

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