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鈴木涼美 最も大切にするべき無意味の自由を、大人は自ら手放してしまう(ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』を読む)

第9回 もしアリスが女の子ではなかったら(ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』)
鈴木涼美

地上の常識がことごとく解体される不思議の国

 世界で最も有名な夢オチと言えば、英国の数学者の書いた少女の冒険譚でしょうか。ディズニーのアニメ映画や、最近ではティム・バートンの後日談的設定の若干退屈な映画の印象も強いルイス・キャロル『不思議の国のアリス』を、私が最も熱心に読んでいたのは19歳から20歳の頃、夜に深く迷い込んでいったそんな時期でした。

 時計を持った大慌てのウサギを追いかけて巣穴に入り、「ぐん、ぐん、ぐうん、落ちること落ちること(原文は"Down, down, down")」とやけにゆっくり下へ下へ落ちていくところから始まるアリスの物語は、じわじわと夜の闇に落ちていく私の、現在進行形で目撃している光景とどこか重なる気がしました。下に落ちたはずなのに、そこには地上の論理とはまた別の論理でまわる不思議な国が広がっていることも、絶望して泣いても結構早く立ち直ってしまうことも、不思議な国の住民たちはみんな何やら忙しなくアリスにお構いなしで世界が回っていることも、誰も敵でも味方でもなさそうなことも、目的や夢があるわけでもなく道行きが進むことも、何かと自分にこじつけてみるととても可笑しくなります。なんといっても親交のあった家族の娘アリスにキャロルがボートの上で聞かせたこのお話、最初に手書きで残した時のタイトルは「Alice's Adventure under Ground」なのです。

 不思議の国には入り口から「ワタシヲオノミ」「ワタシヲオタべ」なんて魅力的な誘い文句が転がっていて、その誘いにことごとく乗るアリスは、どんどん国の奥の方へ迷い込んでいきます。色々と説明も億劫なことが起こるけれど、そのうち「もうおかしな出来事にはいいかげんなれっこになって」いくのです。そして時々、「このへんじゃ、だれでも狂ってる(原文では "mad")んだ。おれも狂ってるし、あんたも狂ってる」「あたしが狂ってるなんて、どうしてわかる?」「狂ってるさ。でなけりゃ、ここまでこられるわけがない」なんていうチェシャ猫との会話が挿入され、読んでいる私の背中は少しヒヤッとしました。「あのう、わたくし、ここからどの道を行けばいいか、教えていただきたいんですけど」「そりゃ、あんたがどこへ行きたいかによるわな」「どこだっていいんですけどーー」。

 地上の世界と落ちた先は、色々と勝手が違います。そして不思議の国では地上で大層立派に扱われたであろう道徳や教訓はことごとく茶化され、おかしな言い換えをされてしまいます。みんなが当たり前に諳んじられる詩は、ナンセンスな替え歌になって、地上の世界で全てをつかさどる時間ですら、不思議の国にかかると6時の次に6時1分が来るわけではありません。アリスは自分でも訳がわからないうちに、地上の常識を解体し、教訓が込められた詩を、「あれがどんなにたのしいか、あんたちっとも知らないね エビといっしょにつかまって 沖へほうってもらうのさ」なんて暗誦してしまうし、「ものごと何にだって、格言はつきものよ」と格言を言いたがる公爵夫人に「ないんじゃないかしら、そんなの」と言ってのけてしまいます。

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