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鈴木涼美 最も大切にするべき無意味の自由を、大人は自ら手放してしまう(ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』を読む)

第9回 もしアリスが女の子ではなかったら(ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』)
鈴木涼美

本当にやっかいなのは、孤独ではなく・・・

 アリスは穴に落ちた不条理も、穴の中の不条理も、結構逞しく受け入れて、しかもこちらの論理の通用しない世界に抗うよりいなしてみせます。荒唐無稽に呆れながらも、自分自身の変化を疑ってみることもあります。物語を通して、アリスが何度か悩むのは、どうしてこんな世界かなんていうことではなく、別の一つの問いです。「やれやれ、今日はなんておかしなことずくめなんだろう。きのうは全然いつものとおりだったのに。ひょっとして夜のうちにあたしの方が変っちゃったのかな。いいこと、今朝おきたときはまえとおんなじだったかしら。そういえばちょっぴりちがってたような気もする。だけどもし、ちがっていたとして、だったら次の問題は、いったい全体あたしはだれなのかってことよ。ああ、なんてややこしい!」。

 キャロルのこの本は、英国児童文学の歴史では最も重要なものの一つに数えられます。よく指摘されるのは、それまで子供向けの本たるもの、役立つ教訓がなくてはいけない、という考えが主流だった英国で、別に教訓などなく、むしろ教訓なんてとことん茶化して、魅力的で面白い物語だったという点です。確かに子供の本の歴史にとって大変有意味なこの作品自体には、受け取らなくてはいけない意味があるようには思えません。そして、意味がないこと自体が、どんなに写実的な記述や実話のような教訓話よりも、荒唐無稽なこの世界を真正面から描いているようにすら見えるのだから不思議です。目の前の荒唐無稽に意味なんか見出さずに、結構しっかり受け入れながら突き進む小さな女の子は、いろいろな不思議の国を散策する女の子たちとやっぱりどこか重なります。

 大人になるにつれて広くなる世界は、時々思いもよらない広がり方をして、私を戸惑わせ、迷わせ、自分の形を変えさせてしまう荒々しいものでした。私たちは若ければ若いほど愚かだから、深く考えずに穴にすっぽり潜ってどんどん落ちていき、もともと持っていた常識を奪われるような事態に見舞われます。そしてすっかり大人になってしまうと、偶然出会った不思議な世界を善悪や敵味方の枠に当てはめて、自分がそこにいた意味など探してしまうものです。地上の世界は常識という論理でまわっているから、その常識から溢れる過剰には、そうである理由を求めてくるのです。私も大人になって、世間に何かと質問攻めにされていくうちに、ついつい自分の出会ってきた不可思議な世界全てを意味に落とし込んで、ただおかしいものという存在に対してずいぶん冷たくなってしまったと思うことがあります。本当は、無意味の自由こそ最も大切にするべきことだったはずなのに、大人はそれを自ら手放してしまうのです。

 夜の世界には無数の物語があって、そこは昼の世界の論理が通用しないこともあるし、アンフェアなルールで攻撃してくる輩もたくさんいます。それぞれの人が、自分が主役の物語を紡ぐのに忙しいので、こちらの物語を無理に意味づけして囃し立ててきたりはしません。だれも救ってくれないし、だれも自分に意味を与えてくれないそこは孤独ではあるけれど、本当にやっかいなのは、意味や答えを用意しないと、こちらを無価値だと決めつけてくる昼の常識の方かもしれないのです。いくらグローバルスタンダードなんて言っても、所詮どこかの誰かが作った常識を、不思議の国にまで当てはめようという人たちに出会うと、そんな常識では全く無価値の自分や自分の過去に気が重くなるものです。そういうときは、アリスの迷い込んだお城の王様の言葉を思い浮かべるようにしていました。

「意味がないとすれば、こっちは大助かりだ」「わざわざさがす必要もないんだからね」

不思議の国のアリス

ルイス・キャロル/著  金子國義/絵  矢川澄子/訳

新潮文庫

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鈴木涼美
1983年東京都生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒業、東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。修士論文が『「AV女優」の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか』のタイトルで書籍化される。卒業後、日本経済新聞社を経て、作家に。著書に『身体を売ったらサヨウナラ 夜のオネエサンの愛と幸福論』『おじさんメモリアル』『オンナの値段』『ニッポンのおじさん』、『往復書簡 限界から始まる』(上野千鶴子氏との共著)など。
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