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鈴木涼美 最も大切にするべき無意味の自由を、大人は自ら手放してしまう(ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』を読む)

第9回 もしアリスが女の子ではなかったら(ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』)
鈴木涼美

女の子には、無意味でいる自由がある

 アリスは穴に落ちたそのさきで、落ちる前の世界では見たことのなかったもの(慣用句でなら聞いたことがあるような生き物もいますが)に色々と出逢いますが、彼女にとって彼らが変であるように、アリスもちょっとした異物です。そこに広がる世界は変だけれど、アリスはお菓子やキノコを齧って、自分の身体を大きくしたり小さくしたりすることで、変な世界に似合うサイズになって彷徨います。小さなドアがあれば身体を小さくして、大きな家の前に来れば「アリスはすぐに近づく気にはなれず、まず左手に持ったキノコのかけらをちょっぴりかじり、2フィートほどの背丈になってね」。ただし、不思議の国に暮らすものたちと違って、アリスは地上の常識と理性を持ったまま迷い込むので、その世界が変だという感覚は持ち続けています。そして自分も変だということも結構わかっていて、「少くとも、けさ起きたときには、自分がだれかわかってたんだけど、それから何べんか変っちゃったみたいなんですもの」と、サラッとアイデンティティクライシスのようなセリフを口にする。不思議だとは思うけど、怯え続けたり、その世界をありえない! と一蹴したりせずに、ちょっと不可思議な気分を味わった後は、するりと受け止めてまた道を進みます。そしてアリスはアリスのことを蛇だと断じる鳩を説得するように、自分でもあやふやなまま「あたしーーあたし、女の子なの」と話すのです。

 こんな芸当は、まさに女の子にしかできないんじゃないかと少し思うわけです。男の子のヒーローも変身したり、敵に合わせて強くなったり、不思議なところへ迷い込んで冒険したりはしますが、非論理に論理や正義で争って、必死に何かの目的を達成したり、敵を倒したり、海賊王を目指したり、この世の悪を根絶したり、龍の玉を集めたりしがちです。大人の女だって不思議な体験をしたり見たことがないものを見ることがあるけれど、どうしてもそこに意味を見出したり、病名をつけたりしがちです。

 アリスにはそんな大それた戦いや不思議なこと全てに名前をつける趣味なんてありません。何かの役に立つ必要もない代わりに、周囲の生き物たちにはそれぞれの忙しい理由があって、アリスをことさら主人公のようには扱わない。害を与えようとしてくるものはあるけれど、何が味方で何が敵かなんていう考えはアリスにとって無意味です。全く勝手のわからない不思議の国のことだって、「ウサギ穴になんて、とびこまなければよかった」と落ち込むけど、直後には大きくなったらこのお話を本に書こうっとなんてすぐに思い立つくらいなので、大した絶望ではありません。女の子には、無意味でいる自由があるのです。

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