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鈴木涼美 悲しいのはお金で身体を明け渡す女か、幻想をお金で買う男か?(ガルシア=マルケス『わが悲しき娼婦たちの思い出』を読む)

第10回 買う男の論理があるのだとして(ガルシア=マルケス『わが悲しき娼婦たちの思い出』)
鈴木涼美

男はお金と一緒に罪悪感を放棄する

 以前、大変お金持ちの相手と不倫をしている女の友人がいました。彼女自身は独身だったので、周囲の私たちはてっきり、世に多くいる愛人たちのように、経済的な保証をされている、結婚の約束の代わりに贅沢な生活を受け取っているのではと勘違いしていたのですが、実際には彼女はホテルまでの交通費1万円ですらも受け取らず、旅行代金も自分の分は自分で払う態度を崩さず、全く金銭を介さない関係を紡いでいるようでした。

 ある時そんな話をしてくれた彼女に、相手から金銭的援助の申し入れはなかったのか、あったとしたらなぜそこまで頑なに受け取らないのか、聞いてみたことがあります。確かに彼女自身はお金に困っていたわけでもないし、何か特別お金のかかる趣味があったわけでもないのですが、お金持ちの相手からタクシー代まで拒否する態度は何かしら強い思想に支えられている気がしたからです。

「男はお金と一緒に罪悪感を放棄するから」
 というのが彼女の答えでした。両者の間にある種の不均衡があるとして、それがどれだけ残酷なことか、お金を払った時点で男は考えるのをやめてしまう。悪い遊びをするのでも、誰かを裏切るのでも、美味い汁を吸うのでも、男の行動を否定はしないけど、そこに生じる罪悪感を幾ばくかのお金で捨て去らず、ちゃんと罪悪感を抱いて帰っていってほしい、だからそれを誤魔化すお金は一切受け取らない。そう考える彼女は性愛とお金の奇妙な関係を言い当てているように思いました。女の方からしても、お金を受け取ってあげるという行為は、相手が自分について想像力を持たないことを許す行為だとも思うのです。

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