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鈴木涼美 悲しいのはお金で身体を明け渡す女か、幻想をお金で買う男か?(ガルシア=マルケス『わが悲しき娼婦たちの思い出』を読む)

第10回 買う男の論理があるのだとして(ガルシア=マルケス『わが悲しき娼婦たちの思い出』)
鈴木涼美

寝ている女には受け入れないという選択肢はない

 そうして老人は運よく誕生日に、14歳になるかならずの処女を見つけてもらい、彼女の待つ部屋に案内されるのですが、中に入ると女の子はぐっすり眠っています。それまでは一夜限りの愛人と服を脱ぎもせずにセックスを重ねてきた彼は、その部屋の中で裸になり、彼女の鼻をつまんだり、両脚を開こうとしたりしつつ、結局何もせずに自分も横で寝ることにしました。そこから、眠っている、あるいは眠ったふりをしている処女と老人の奇妙な関係が始まるのです。最初は今までどおり、誕生日の一夜のことになるのかと思いきや、我慢できずに「あの子に厚化粧せず、生まれたときのままの姿でベッドで待つように」という注文までつけて再び会いにいき、やはり子守唄を歌ったり汗を拭いてやったりしながらセックスはしません。醜く内気な自分を取り繕って生きてきた彼は眠る愛人と出会って初めて、ありのままの自分をさらけ出す感覚を手に入れ、次第に尋常ではないほど彼女を愛してしまいます。

 90歳の老いらくの恋は実に充実しているようで、「改めて歌のきらいな人には歌をうたう喜びがどういうものか想像もつかないにちがいない」なんて浮かれたかと思えば、とある事件が起きたことでしばらく会えなくなるとなんとか会おうと無理をして探そうとしたり、嫉妬のような気持ちで大暴れしたりします。そう聞くと老人とはいえオーソドックスな恋をしているようですが、いかんせん相手は毎回眠っている女です。

 普通は、ありのままの自分を出せるようになるとは、相手が受け入れてくれないかもしれないという不安に打ち勝ち、きっと相手が受け入れてくれるだろうと信頼し、実際に相手が受け入れてくれて成立する事態のような気がしますが、寝ている女には受け入れないという選択肢はない。だからこそ彼にとっては彼女が眠っていることこそ重要なのです。女将が別のかわいい処女をすすめてきても、「いや、べつの子はいらないよ」と即座に拒否してこう言い放ちます。「あの子でいい、あの子ならいつもと同じで大きなミスを犯したり、けんかをしたり、いやな思い出が残ることもないからね」。彼は言葉を発しない彼女に勝手に名前をつけて、俺流の名前で呼んで愛します。そしてはっきりと「私は眠っている彼女のほうが好きだ」と断言してみせます。

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