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鈴木涼美 悲しいのはお金で身体を明け渡す女か、幻想をお金で買う男か?(ガルシア=マルケス『わが悲しき娼婦たちの思い出』を読む)

第10回 買う男の論理があるのだとして(ガルシア=マルケス『わが悲しき娼婦たちの思い出』)
鈴木涼美

眠った処女の客となる90歳の老人

「満九十歳の誕生日に、うら若い処女を狂ったように愛して、自分の誕生祝いにしようと考えた」という一文で始まる、娼家を舞台にした小説がガルシア=マルケス『わが悲しき娼婦たちの思い出』です。ガルシア=マルケスは、日本人の多くがよく知っている川端康成『眠れる美女』に着想を得てこの作品を書いたと言い、作品冒頭には『眠れる美女』のやはり冒頭の文を引いています。薬で死んだように眠らされた女の横で過去を思い出す川端作品とは、舞台となる国の文化も、主人公のキャラクターや年齢も、作品自体がもつ空気もまるで違いますが、眠った処女の客となるという点では共通しています。

 相手が眠っているというのは売春の本質の一つです。自分が相手を眼差すようには相手は自分を見ておらず、愛や愛撫に反応が返ってくることもなく、相手が何を考えているのかどんな気分なのかすら全く意味をなさない関係は、一般的な感覚での人間関係としては破綻しています。目の前で寝ている女は自分の持ち寄った幻想を壊すことをせず、むしろこちらの物語を全て入れてしまえる箱のようなものです。売春にはお互いの物語の擦り合わせが必要がないとは言え、起きている女であれば男の物語を壊してしまう可能性はあるわけで、最も純粋な形の売春と言えるかもしれません。

 さて、ガルシア=マルケスの方の作品は、90歳の老人が娼家の女将に電話をかけて、今夜どうしても処女を紹介してほしいと頼むところから始まります。新聞社で物書きをして生きてきたこの老人は、何も今まで娼婦を買っていないわけではなく、むしろ「女性と寝た場合、必ず金を払うようにしてきた。商売女でない女性とも何人か関係を持ったが、そんな場合でも、後でゴミ箱に捨てられてもいいと考えて、あれこれ理屈を並べたり、無理に手渡したりして金をつかませた」という根っからの買春男です。一度結婚しかけたことがありますが、なんと結婚式当日にバックレた猛者でもある。金銭を介さない女性との関係を徹底的に忌避してきたという点で、先に紹介した私の友人と対極にあるわけです。この小説が、川端作品の方と比べて全体的に明るく、過去の過ちへの後悔のような空気がないのは、お金と一緒に罪悪感を放棄して生きてきた男の話だからなのかもしれません。ちなみにこの老人は「遠くから見てもそれと分かるほどの醜男(ぶおとこ)で、内気な上に時代遅れ」だと最初に自己申告しています。

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