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鈴木涼美 母親を殺さなければ女は絶対に自由になれない(佐野洋子『シズコさん』を読む)

第11回 この世で最も不公平な関係(佐野洋子『シズコさん』)
鈴木涼美

「母としてではなく、人として嫌だった」

 私は10代、20代の一時期、自分の母親ほど卑劣な人間なんていないんじゃないかと感じていたことがあります。何の知識もない赤ん坊の頃から近くにいる娘の前で、油断した母親たちは自分の心を許し、世間や社会には見せない自分の矛盾した部分をさらけ出すから、よその女性たちに比べて自分の母というのがいかに矛盾してズルくてだらしない存在か、娘は目の当たりにするし、幼少期にはそのような見極めができなくとも、幼少期の記憶を後から辿って、母を軽蔑するというのは多くの女たちがたどる道です。

「私は母を金で捨てたとはっきり認識した」と言い切る佐野洋子の『シズコさん』は、ほとんど寝たきりになった母を前に、長らく愛したいのに愛せない、愛されたかったのに愛されなかったという作者の母娘関係を、戦後に北京から引き揚げてきた頃の記憶から辿って書き上げたエッセイです。認知症となり、ほとんど寝たきりになった母であるシズコさんは老人ホームのピンと張ったシーツの上に寝ています。絵本『100万回生きたねこ』などで名声を得た佐野洋子は、膨大な額の身銭を切ってホームに入れました。「それは私の母への憎しみの代償だと思っていた」と作者は書きます。「私が母を愛していたら、私は身銭を切らなくても平気だったかも知れない。大部屋で転がされていた、私が知っている特養に入れても良心はとがめなかったかも知れない。私は母を愛さなかったという負い目のために、最上級のホームを選ばざるを得なかった」。

 戦後の混乱期、楽しかったであろう北京の生活を離れ、好きな都会に住むことも叶わず、病弱のインテリだった父の実家の近くで肩身の狭い生活を強いられながら、子供を7人産み、そのうち3人を幼くして亡くしたシズコさんは、典型的な元モガで、気取っていて、社交的で、見栄っ張りで、虚栄心が強く、娘から見れば本来持っているべき家族や兄弟への愛や優しさに欠け、配慮のない女性でした。「私は母を母としてではなく、人として嫌だった」と回想する作者はそんな母に、特に母が可愛がっていた兄が死んでしまって以降、虐待という名のつかない虐待を受けて育ちます。過酷な家事を押し付けられ、ちょっとでも手を抜くと「私をだまそうとしてもそうはいかないんだから」と睨まれ、遊んで帰ると「えっ、どこで遊んで来たのよ、えっ」と柱に頭をゴリゴリ押し付けられます。「母は兄の代りに私が死ねばよかったと思っていたのだろうか」と思わせるほど、まだ小学生の娘に厳しく当たりました。

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