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鈴木涼美 母親を殺さなければ女は絶対に自由になれない(佐野洋子『シズコさん』を読む)

第11回 この世で最も不公平な関係(佐野洋子『シズコさん』)
鈴木涼美

愛さなかった自分の冷たさと、母を捨てた自責の念と

 反面、シズコさんはそこらへんの主婦にしては異様なほど家事は完璧で、父が帰ってくる前には必ず身だしなみを整え、父の教え子たちにも好かれています。終戦からすっかりしょげていた父の代わりに子供たちをしっかり食わせ、男の子を3人も幼くして亡くし、結局夫もまだ若い時に亡くしてしまいます。主婦だった母は42歳で仕事をはじめ、生き残った子供達を全員大学まで入れてくれました。戦後の貧しさを一切愚痴らずに。シズコさんは立派な仕事をしました。ただただ、母というものになりそびれた人だったのです。

 佐野洋子の記述は容赦無く母の嫌なところを暴きます。障害を抱えた自分の兄弟を無視して叔母に押し付け、全く世話をしなかった母、見栄っ張りで学歴詐称をして住んでいるところも嘘をついていた母、海外旅行に連れて行ったら少しオドオドしてナイフとフォークを使っていた母を、観察者としての娘は鋭く見抜いていて、それに加えて自分を愛してくれなかった母の身勝手も幾度も綴られます。写生大会で賞をとったことを報告しても「いやだわ、私着てゆくものがないわ」と言って、娘の名誉を喜んではくれません。「私が母の何を具体的に嫌だったか、全然思い出せない。何でもかんでもムカついていたのだと思う。母の匂いがむかついた」と時々母への論理を超えた嫌悪感が溢れさえします。

 それだけでなく、母の優れた面や、子供だった自分の問題にも徐々に向き合っていきます。「私は大人に好かれない子供だったと思う」と振り返る作者を今苦しめているのは、母の虐待のトラウマではなく、母を愛してあげられなかった自分の冷たさと、最終的にお金で解決して母を捨てたという自責の念です。母よりずっとウマが合った叔母に、母について「どうして、あんな人になっちゃったんだろう」と語りかける学生時代の自分を回想し、自分の中にある母への軽蔑を見つめます。「私は母を好きになれないという自責の念から解放された事はなかった」と長く自分を苦しめてきた、愛したいのに愛してあげられないという思いは、認知症となった母の前で溢れ、なおかつ自分以外にも、母との関係に苦しみ、母との関係に苦労している女性たちがいることも知ります。

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