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鈴木涼美 母親を殺さなければ女は絶対に自由になれない(佐野洋子『シズコさん』を読む)

第11回 この世で最も不公平な関係(佐野洋子『シズコさん』)
鈴木涼美

母の価値観を否定したくて

 私も大人になって、母とうまくいかない娘たちを多く知りました。良くも悪くも自分だけが特別だと思わないで済むのは大人の特権ですが、それでも、自分の才能やコンプレックスが凡庸なものであると受け入れるのと同じようには、母との関係は整理してしまえるものではありません。その距離も母のキャラクターも母の苦労や自分の罪悪感も、この世に一つとして同じものがなく、また自分の母を母として知っているのは近しい姉妹などがいない限り、娘である自分だけだからです。

 私の母は重要な仕事をいくつもして、多くの人に美しい若いと褒められ、家を守り、66歳で死ぬまで勉学を怠らない人でした。留学帰りの美人で、勉強熱心、仕事熱心のキャリアウーマンで、父の友人たちにも人気でしたが、おかしな価値観もたくさん持っていました。リベラルで立派な思想を掲げるわりには専業主婦を軽蔑し、売春婦を軽蔑し、セレブ妻やホステスも軽蔑していました。教育環境や経済的に恵まれていた自分の生育環境を棚上げにして、男の庇護の下にいる学のない女たちを自分とは別の生き物のように扱っていました。家政婦にも「先生」と呼ばせるような人でした。私はそんな母の矛盾を身近に観察して育ち、母の価値観を否定したくて身体を安値で売り飛ばし、男の金で贅沢するようになりました。初めて性をお金に変えた時、母に復讐したような気持ちの高揚があったのを覚えています。

 かといって母のもとで培った価値観や趣味は私の中に根を張り、私という人間を大きく方向づけていることに間違いはありません。そんな風に大人になった私と母の間には、どこかお互いを憎み合いながら、自分の歪みを相手に映して嫌うような空気が常に漂っていました。

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