鈴木涼美 母親を殺さなければ女は絶対に自由になれない(佐野洋子『シズコさん』を読む)
土に埋めて初めて、ごめんなさいを繰り返した
「私はずっと母を嫌いだった。ずっと、ずっと嫌いだった」と言葉を編み出す佐野洋子とシズコさんの関係も、私と私の母との関係とは全く別物で、母の性格も自分の性格も、育った時代も土地も違うけれど、母を愛せない罪悪感から解放されない女の存在が、私が安易に遂行した復讐に持つ罪悪感と時に共鳴します。33歳で私を産んだ母は私が33歳になる直前、66歳で他界しましたが、その時、私が繰り返し読んでいたのは『シズコさん』でした。母の病室と歌舞伎町を往復する生活の中で、私の自責の念はリミットを超えて、何も感じなくなっていました。病室で力なく横たわり、私が帰ろうとすると何かと言い訳を見つけてそこに止まらせようとする。どうせ大した用事があるわけではないのだから、眠るまでそばにいてあげればよかったのに、私は私に捨てられることを恐れているように見える母を病室に置いて、毎日消灯時間には病院を後にしていました。病気が見つかってから2年と少し、私は母にありがとうを言う程度の時間はあったけれど、ついぞごめんなさいと言わずに葬らなくてはいけませんでした。母を焼いて土に埋めて初めて、ごめんなさいを繰り返していました。
シズコさんは、老人ホームでもうほとんどわからなくなった頭で過ごし、作者は「私は母さんが母さんじゃない人になっちゃって初めて二人で優しい会話が出来るように」なります。そしてある時、「私悪い子だったね、ごめんね」と言ってから、「私はゆるされた、何か人知を越えた大きな力によってゆるされた」という気持ちになります。シズコさんに対して、かわいそうだという気持ちは以前からあったけれど、「私は母さんを捨てたから、優しい気持にも時々なれるのだ」と自らの経験を語ります。
母と娘は他人と言うにはあまりに近く、しかしどうしようもなく他人です。母の肉体からまろび出て、そのうち母の介護をするようになるこの関係は平等になどなり得ない。一度は母を捨てなくては、娘は母を嫌う自由すら意識できません。その上で、母を嫌った自分を許す過程こそ、女が母とはまた別の人格である自分を獲得する過程のような気がします。そこで幸運であれば、間近に存在した矛盾だらけの母のことも、理解しないまでも許せるのかもしれません。


