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鈴木涼美 心なんてどうせ整わないからせめて言葉を整えてみる(井上ひさし『私家版 日本語文法』を読む)

第14回 若い女の心はそう整うものじゃない(井上ひさし『私家版 日本語文法』)
鈴木涼美

若い女のコの心は常に予測不能で不安定

「心を整える」と言った人気スポーツ選手もいましたが、私はそんな高尚な人間じゃないし、そんな超人的芸当はできないので、昔から心なんてどうせ整わないからせめて言葉を整えてみる、と思って生きてきました。特に若い女のコだった時には、心は常に山の天気のように予測不可能で不安定、全て壊してしまえ! と思った次の瞬間には、この穏やかな幸福をいつまでも握りしめていこうとか思ってしまう、非常にあてにならない怪しいものでした。自分って結構悪くない存在かもと思った矢先に、自分はなんて退屈で凡庸な人間なのかと嘆き、きっと私は何者かであるに違いないと望みの少ない期待を燃やしながら、もしかしたら私って何者でもないのかもしれないという予感ではち切れそうになるわけです。若いと困ったことに行動力と体力に溢れていますから、全て壊してしまえ! な気分の時の後始末を、穏やかな幸福気分の時にさせられたり、穏やか気分の時に始めてしまった厄介ごとから、壊せ! 気分の時に逃亡したりと、色々と自分に迷惑をかけられて、それで再び心が乱れていくという循環も抱えていました。そこにアルコールやセックスや音楽やお金が混在しているので、余計に始末が悪く、一晩の飲酒代を3ヶ月かかって支払ったり、不用意なセックスで性病になったり、ライブの帰りに骨折したり、心乱れることには事欠きません。

 理知的な若い女というのも確かに存在しますが、私のように、世間から見れば「?」な逸脱を繰り返したタイプの人間というのは基本的に、自分の凡庸さを受け入れることがなかなかできずに、安易な方法で凡庸さを蹴っ飛ばそうと悪足掻いた小っ恥ずかしい精神性の持ち主だったということです。服を簡単に脱ぎ捨てるとか、唾液に数千円の値段をつけて売り払うとか、カメラの前で悩ましげなポーズをとるとかいうことは、若い女なら誰にでもできる、最も簡単で捻りがなく、凡庸の極みみたいな逸脱ではありますが、瞬間的に自分を非凡な存在のように見せてくれる効用を持つわけで、そうやって自分の心にちょっとした悪の華を咲かせてみたい女はいつの時代にも存在しました。

 そういう青春を通って人はみんな大人になるなんていうクリシェは薄ら寒く、後から思い返せばそれなりに取り返しがつかないし、やらなくていいことや後悔はいつまでも続くし、それによって何か大切なものが見つかったとか、そういう道を通ってきたからこそ自分を見つめられたとか、そんな風には必ずしも思いませんが、若いというのは基本的に愚かなものであって、愚かさへの赤面と懺悔、そして取り繕いによって大人の時間が形成されるとも考えられます。要は、人の心は基本的に乱れているものであって、それがいいとか悪いとかいう次元の話ではなく、乱れた心との付き合い方を徐々に獲得し、自分の凡庸さを噛み締めながら、人はなんとかクラブで酔い潰れてトイレでセックスとかはしないでも生きていける程度には落ち着いていくものだと私は思っています。

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