『エリザベス女王』『物語 ウクライナの歴史』 ~悲しい出来事があったとき、それにまつわる本を売っていくことの意味について~

あの本が売れてるワケ 若手営業社員が探ってみた
中央公論新社の若手営業社員が自社のヒット本の売れてるワケを探りつつ、自社本を紹介していく本企画。第9回は、中公新書『エリザベス女王』、『物語 ウクライナの歴史』を題材とします。

「亡くなった人の本を売る」ということ

人の死は悲しいことです。98日、在位70年を越えたエリザベス2世が崩御し、イギリスのみならず世界中で多くの人が弔意を表しました。訃報とともに、中公新書『エリザベス女王 史上最長・最強のイギリス君主』の注文が相次ぎ、亡くなってから1週間で2度の重版が決まりました。著名な方が亡くなると出版社はにわかに忙しくなります。

 

小社では昨年、立花隆さんや瀬戸内寂聴さん、今年に入ってからも石原慎太郎さんや藤子不二雄Aさんなどが亡くなった際にも、関連書籍の在庫を確認し、重版の検討をし、書店へ注文書を流し、場合によっては「追悼」の文字を記した新しい帯を作るといった対応をします。書店でも「追悼コーナー」が設けられたり、出版社でも改めて評伝が企画されたりと、故人を顕彰する意味でも、出版界全体で大きく取り上げます。これこそ出版という仕事の一つの意義であるということを、働くうちに理解していきました。

『物語 ウクライナの歴史』の葛藤

今年の2月、ロシアがウクライナに侵攻し、その直後から小社の新書『物語 ウクライナの歴史』が再び売れはじめました。2002年の刊行なので、たとえばオレンジ革命やクリミア併合には触れられていませんでしたが、他にウクライナの歴史を扱った書籍が少なかったことなどからあちこちの書店でベストセラーランキング入りしました。ただ私としては売れている理由が理由だけに複雑な気持ちでいました。

ウクライナ侵攻のニュースが流れ、書店からの注文が入り出したタイミングで、営業としても売り方をかなり悩みました。もちろん需要があるかぎりはその分重版をすることで対応しますが、それ以上の積極的な宣伝をするべきか否か、ということです。書店への案内も通常の重版であれば「売れてます!重版しました!売り伸ばしお願いします!!」といった華やかなFAXを送りますが、今回は重版の報告と内容の紹介だけにとどめたり、新聞宣伝も躊躇するところがありました。

しかし、誠実に売っている限りは、日本ではあまりなじみがないウクライナの歴史を知らせる良書を、一人でも多くの読者に届け、この戦争への理解を深めてもらうことの意義はやはり大きい。そこに関しては胸を張って売るべきだ、と結論付け、新聞宣伝もやることになりました。

 

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しかるべき人が書くこと、物語として次代につなぐこと

「エリザベス女王」にしても「ウクライナの歴史」にしても、いまやその来歴について知りたければいくらでも手段はあります。検索をかければ一生かかっても読み切れない量の情報が出てきます。しかしそれでも、伝記や評伝、歴史本というのは読まれ続けています。それはやはり「この人」という書き手が書くからだと思います。著者が信用のおける専門家であるというのは大きいですが、もう一つ重要な要素ではないかと思うのが、ストーリーテリングの技術です。中公新書の世界の歴史シリーズはそのほとんどのタイトルが『物語 ○○の歴史』となっていますが、まさに、「事実の羅列を物語として書く」というのが非常に意義深いのだと思います。ともすればあらぬ因果関係を想像で書いてしまって、「お話」としていい感じになるようにでっちあげてしまうことにもなりかねませんが、人がスッと受け止めて記憶できるのは年表よりも物語なのです。

 

中公新書の編集部がその創刊時から意識していることとしては大きく二つあるそうで、一つは「事実の重視」、もう一つは「読みやすさの重視」。私はたまたま中公新書の2年前に刊行を開始した全集「世界の歴史」の「執筆要綱」という、著者への要望を見せてもらいましたが、しきりに「研究者としてはお辛いと思うがどうか面白く書いてくれ」と書いてあって大変感銘を受けました。「教科書の太字の語句がタイトルになる」と言われる中公新書が、でもじゃあなんで教科書よりも面白いのか?の答えが詰まっている気がします。

 

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上記の話は、こちらの中公新書60周年記念小冊子内の、「物語 中公新書の歴史」という章に詳しく書いてあります。小冊子は10月より書店にてお求めいただけます。

※一部書店でのお取扱いになります。

「出版」は何番目にできた仕事か?

出版業界は委託販売で、毎月ほぼ決まった点数を刊行しているところがほとんどです。メーカーにおいて「発売される点数が先に決まっていて、そこに向けて商品をつくる」ということがなんとなく異常ではないかと考えるにつけ、思うことがあります。それは「物書き」や「出版」という仕事が人類史上何番目に誕生した仕事なのかということです。

人間が何人かいて、「私が食料を取ってくる」「じゃあ私は服を作る」「では私は家を建てよう」などと分業することによって「仕事」というものができてきたとして、「じゃあ私はこの出来事を書き残すよ」「そしたら私はそれを複製してみんなに配るね」と言い出した人は一体いつ現れたのか(発見されたら大きな声で感謝を伝えたいものです)。

 

最近映画等で話題の『ワンピース』を読み返しているのですが、はじめにルフィがいて海賊王を目指す。そこから仲間を集めていき、「麦わらの一味」を形成する過程は「剣士」→「航海士」→「狙撃手」→「コック」→「医者」→「考古学者」→「船大工」→「音楽家」→「操舵手」...。彼らの船に、まだ「文筆家」「編集者」はいません。

なぜ人は人の歴史を読みたいのか

人類の歴史について大風呂敷を広げた考察を書かせていただいたついでに、もう一つ大きなことを言わせてください。それは「なぜ人は人の歴史を読みたいのか」ということです。書物というのは知識・情報を後世に正しく残すための手段で、「知のアーカイブ」であるといえます。科学者や数学者が新たな発見をしたいとき、「すでに証明されていること」を土台に計算するのは当然の手法です(それをこそ疑った方がいい、というのもまた科学の歴史が教えてくれますが)。この幾多の過去の誰かの証明や発見を前提に次へ進むという「当たり前」は、「人間」や「歴史」についてもそう言えるのではないか。誰かの成功や誰かの失敗を糧に次へ進めること、「こんな人がいたんだ」と知って強くなれること、それが人間、もとい言葉と書物の強みであり、また出版の意義だと思います。

 

『エリザベス女王』では、イギリス君主として時の首相や諸外国との軋轢や、自身の立場そのものに苦悩しつつ、それでも国民のための行動を選び取ってきたエリザベス2世の姿が生き生きと描かれています。この点については、天皇の姿とオーバーラップさせて読む日本人も多いことでしょう。本の中では、エリザベス女王が日本を訪問し、昭和天皇にあったときの言葉が書かれています。

 

"この立場が分かっていただけるのは、ご在位五〇年の天皇陛下しかおられません。(中略)戦争と平和を国民とともに歩まれた方ですので、この陛下のお言葉から、私は私自身にも分からない将来のことについて教えられることが多いでしょうし、自分が教えを受けられるのはこの方しかいないと信じて、地球を半周してきたのです。"

「世界にはこんな人もいるんだ」ということが、強く感じられる一冊。ぜひ手におとりください。

 

次回は1028日配信予定です。

お楽しみに!!

エリザベス女王 史上最長・最強のイギリス君主

君塚 直隆

1952年に25歳で英国の王位に即いたエリザベス女王。カナダ、オーストラリアなど16ヵ国の元首でもある。W・チャーチルら十数人の首相が仕え「政治的な経験を長く保てる唯一の政治家」と評される彼女は、決して〝お飾り〟ではない。70年近い在位の中で政治に関与し、また数多くの事件に遭遇。20世紀末、その振る舞いは強い批判も受けた。本書はイギリス現代史をたどりながら、幾多の試練を乗り越えた女王の人生を描く。

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