清水亮 企業の不正が世間を騒がせた今年「AI」を社長にしてみた。AIの経営判断は<残酷>だがほとんどの場合<人間よりマシ>である
渋沢栄一は予見していた
ビッグモーターの幹部だって、最初は本田宗一郎のような崇高な目的を持って現場を見回っていたことが容易に想像できる。
しかし、経営者といえども人間だから、機嫌のいい時もあれば悪い時もあるだろう。虫の居所が悪い時、遠路はるばる訪れた店舗が乱れていたり、散らかっていたせいで、癇癪を起こしたのかもしれない。しかし、それを恐れて店舗側が過剰に気を使うのが常態化、且つ、経営者が"売り上げ"という数字しか追求しなくなったとすれば...。
どんな会社でも、明確に禁止されていないことの一つとして、実は"犯罪"がある。犯罪行為をするな、不正をするな、というのは常識の範囲の話で、わざわざルール化しないからだ。
もし会社で長年不正が続いていたなら、そこではもはや不正が不正と認識されなくなり、「当然のもの」になっていたことを意味する。不正を前提としたビジネスモデルを標榜した企業は、組織犯罪を行っているのと一緒だ。
渋沢栄一が日本に資本主義を根付かせようとするとき、「単に利益追求だけを求めては、企業が暴走してしまう」と予見していた。そこで用いたのが中国の『論語』だった。
今から100年以上も前の大正五年(1916年)に刊行された渋沢の著書『論語と算盤』には「右手に算盤、左手に論語を持って経営にあたれ」と記されており、今でこそ理解できる人も多いだろう。しかし渋沢がこれを執筆した時の日本は、まだ江戸時代の支配階級や、戊辰戦争の勝敗を引きずっているようななかにあった。
やや脱線するが、本が刊行された前年の大正4年、戊辰戦争で薩長軍に反抗し、奥羽越列藩同盟の総大将となった河合継之助と彼の所属する越後長岡藩はようやく旧長岡藩家老・山本家復興を許された。その後、海軍大学校にいた高野五十六という青年が山本家を相続して山本五十六となり、越後出身者として異例の出世を遂げている。
つまり、まだ混沌とした時代において、渋沢の「道義を伴った利益を追求せよ。また自分より他人を優先して公益を第一にせよ」といった経営哲学は非常に重要かつ画期的なもので、その後の日本の成長を支える原点になったと言える。
はたしてビッグモーターやダイハツの経営者の手に『論語と算盤』はあっただろうか。