平山亜佐子 断髪とパンツーー男装に見る近代史 「変成男子」「異風女」さまざまに呼ばれた江戸後期の男装者たち
自分らしく生きた先人たち
今月から「断髪とパンツーー男装に見る近代史」と題し、明治から昭和にかけて新聞や雑誌などメディアを通して伝えられた男装者の記事を時代順に見ていく連載を始める。
筆者はおもに明治から昭和十年ごろまでの新聞や雑誌記事を読むことが好きで、戦前期の女性や文化に関する本を今まで5冊ほど書いてきた。
とくに2009年に『明治大正昭和 不良少女伝 莫連女と少女ギャング団』を書いたときに目についたのが、男装者の事件記事。
そのとき初めて、クロスドレッサー(ここでは生得的身体と違う性別の服飾をまとう人々を指す)たちが100~150年前の日本において、娯楽的動機(花見や祝祭における仮装など)、社会的動機(逃亡のための変装など)、経済的動機(男性のものとされた労働、あるいはセクシュアルワークへの従事など)、性的指向などさまざまな理由で男装のまま生活していることを知ったのだ。
近年でこそジェンダー研究が進みつつあり、LGBTQAI+といったセクシュアリティの分類も生まれ、医療的な治療法や法整備に関する意識も高まってきたが、当時はそのような状況にない。
異性装者たちのなかには現在言われているようなジャンルの自認もないまま暮らしている者が多数いたであろうことが記事から想像できる。
それら実在した男装者たちの実社会における振る舞いや暮らしの具体例を見ていきながら、周囲の環境や認識、価値観の変遷に目を凝らし、自分らしく生きた先人たちに光をあてることが本連載のテーマである。
ではなぜ女装ではなく男装なのか。
いまや女装者はタレントを含めメディアで見かけない日はないほどだが、男装はいまだそのような状況にない。
男装と聞いて「男装の麗人」という表現が飛び出しもするが、これは1932(昭和7)年に村松梢風が『婦人公論』誌に連載した小説のタイトル、実に約90年前の流行語である。
かように男装は、なんとなくタブーのような隠微さを保持しているように映る。
それはなぜなのかという点もゆくゆくは詳〈つまび〉らかにしていけたらと考える。
本題に入る前に、まずは「男装」の定義を確認しておきたい。
一般的に「男装」とは、女性(ここでは生得的身体を指す)が男性の服装をしていることを指す。
しかし厳密に言えば、仮装、着こなし(流行など)、衣装、変装、服装改革運動は「男装」には入らない。
とはいえ、一時的な仮装や変装であってもアイデンティティにまったく関係がないと言い切るのは早計である。
その可能性もふまえ、また服飾史的読み物とするためにも、本連載では必要に応じ仮装、変装も含めて当時男装と見なされた事例を紹介する。
服装は機能性や流行を追うだけではなく、着る者の意志を表し、生活を変え、周囲の意識をも変えていく大きな運動である。
明治から昭和にかけて、着物から洋服に移り変わる時期にさまざまな理由からあえて男装を選んだ市井の人々の事情を、新聞記事などから見ていく旅を始めよう。