平山亜佐子 断髪とパンツーー男装に見る近代史 お粂、お幸の場合

第八回 お粂、お幸の場合
平山亜佐子

驚きの「荊栗〈いがぐり〉坊主」頭


 2年後の1906(明治39)年7月20日付萬朝報に出た「名古屋の男装婦人」という記事の主人公の場合は意図がはっきりわかる。
 曰く、名古屋市奥田町で雑品販売業を営む岩田孫助の次女のお幸〈こう〉は、小さい頃から男子と遊ぶのが好きで女性らしい振る舞いをしなかったが、数え17歳のときに家出をして3年間行方不明になった。
 ある日、ひょっこり帰ってきたと思ったら驚きの「荊栗〈いがぐり〉坊主」頭。両親は失恋の結果かと思いあえて事情を聞かなかったが、お幸の態度はいつもと変わらなかった。
 しばらくするとお幸は近所の娘と交際し始め、家に入れて5年もの間、夫婦のように暮らした。その娘と別れた後には竹本福枝という女義太夫を「妾同様にし」(家を持たせて通っていたということか?)、それとも別れ、お兼という数え48歳になる後家と関係し、雇人の名目でお幸方に同居。傍目からは夫婦同然で、お幸は「旦那」と呼ばれ、今も男装を続けているらしい。
 ちなみに昔からお幸を知る者は「お幸さん」と呼んでいるが、嫌がる様子もないとのこと。
 また、岩田家は娘しかいないため、長女の子が孫助の養子となって家督を継いだが、男装の叔母と一緒に住むことを嫌がったので、お幸とお兼は春に別所帯を持って、さつまいもの仲買を始めたという。
 最近は長女の嫁ぎ先で遺産問題が起こり、お幸もこれに関係しているため、話題になっている由。

1  2  3  4