単行本『無常といふ事』がやっと出る(二)

【連載第十二回】
平山周吉(ひらやま・しゅうきち)
中村光夫
「僕は無智だから反省なぞしない」と語った小林秀雄の戦後の始まりとは。
敗戦・占領の混乱の中で、小林は何を思考し、いかに動き始めたのか。
編集者としての活動や幅広い交友にも光を当て、批評の神様の戦後の出発点を探る。

初版だけ見逃してもらえた坂口安吾『真珠』

 半藤一利の『安吾さんの太平洋戦争』には、坂口安吾の短編集『真珠』(大観堂、昭和1810)の出版をめぐるいざこざが報告されている。「真珠」は特殊潜航艇による特別攻撃で散った九軍神を扱った作品であった。検閲をした海軍報道部は九軍神を冒瀆したと発売不可の判定を下す。出版社の社長が泣きこむと、平出大佐が温情をほどこす。「それなら、まあ、初版だけなら仕方がなかろう」と特別に許可を出した。このエピソードにはまた別の説もあった。安吾は警視庁に呼び出されたが、検閲官が安吾の貧乏に同情して、「初版だけは見逃す」となった。その初版部数は二千部と少ない。安吾の『真珠』を許可したのは、海軍だという巷説と警視庁(内務省)だという巷説があったというのだ。

 小林の『無常といふ事』の場合は、「僕の書いたものは戦争中禁止された」という発言を単行本化の件だとすれば、安吾のようにうまい具合に話が進まずに頓挫したということだろうか。小林自身は作品に自信はあっただろう。昭和十八年(一九四三)三月十五日に行なわれた日本文学報国会の評論随筆部会での小林発言を、平野謙は「文芸時評」で記録している。

「小林秀雄は文芸評論家もまた専門家でなければならぬと力説していた。文芸評論が一個の文学的制作である以上、それは論理的に正しいばかりでなく、また言語に絶した美しさがそこに現れていなくちゃならぬと言い、不言実行する専門家の境地を強調している。それは「実朝」の作者にして始めて発言し得る立派な確信であった」(「日本読書新聞」昭和18417

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