出口治明✕村木厚子 「女性がつくった国・日本」をガラパゴス化から救うショック療法

出口治明(立命館アジア太平洋大学(APU)学長)×村木厚子(津田塾大学客員教授)

男女差別は明治時代から始まった

出口 保育所が保育を担うのは、人類の本性でもあるのです。僕は歴史オタクなんですが、ホモサピエンスの二〇万年の歴史を振り返ると、そのうち一九万年は移動採集の生活でした。諸説ありますが、およそ一五〇人が一つの集団になって移動していたとするダンバーの説が有力です。
 彼らにとって最重要課題は一五〇人分の食糧の確保です。だから男性も女性も森に入って狩猟採集をした。その間、赤ちゃんや幼児は一ヵ所に集め、高齢者や怪我をして動けない大人が面倒を見ていたそうです。この歴史を直視すれば、男性も女性も働くのが当たり前でかつ集団保育。家庭で子育てをするのは、ホモサピエンスに向いていない。
 ちなみに、男性は毎日獲物が狩れるわけではない。一方、女性は採集や小動物の捕獲が中心なので、毎日必ず収穫物がある。その結果、彼らの生活に必要なエネルギーの六割以上は女性が供給していたそうです。
 こういう事実を、もっと学校でしっかり教えるべきだと思いますね。「男は仕事・女は家庭」という刷り込みは、アンコンシャス・バイアス以外の何者でもありませんから。

村木 大賛成です。男女にまつわる今のような「性別役割分担」は、せいぜいここ一〇〇年ででき上がったものですよね。でも上の世代を見て育つ子供や孫世代に強烈に刷り込まれている感じがします。

出口 もっといえば、日本は女性が作った国です。日本の神話では、女神とされているアマテラスが孫のニニギノミコトに国譲りしますよね。世界の神話の中で、お婆さんが孫に国を譲ったケースはほとんどない。
 今の歴史学によれば、これは『古事記』『日本書紀』が書かれた当時、女性の持統天皇が孫の珂瑠皇子(文武天皇)に位を譲った故事を反映しているといわれています。飛鳥・奈良時代は持統天皇だけではなく、女性天皇が複数いました。天皇家の男性が軒並み病弱だったので、女性が取り仕切っていたわけです。

村木 たまたま先日、国立歴史民俗博物館の「性差の日本史」という企画展示を見学してきたのですが、たしかに時代を遡るほど男女の分業はないし、女性が中心になっていた部族なども多かったそうです。あるいは江戸時代の大奥も、政治と少なからず関わりがあったとか。
 ところが、明治政府になって表舞台から女性が消える。こういう展示を見ると、歴史を学ぶことは本当に大事だなと思います。今の常識や慣習が本当に私たち自身に根付いている本質的な差なのか、それとも歴史的に作られたものなのか、見きわめることは重要ですよね。

出口 そのとおりです。明治政府はネーションステート(国民国家)を作るために、そのコアとして天皇制と家制度をセットにしました。その際に朱子学をベースにしたので、例えば「夫婦同姓」のような男尊女卑の思想が盛り込まれたのです。
 さらに戦後になって、税金の配偶者控除や年金の三号被保険者のような性分業にインセンティブを与える制度ができて、ますます性差が拡大しました。だから村木さんがおっしゃるとおり、男女差別の歴史は非常に新しいんですよね。

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