「性の橋渡し役」は天使か悪魔かビジネスマンか

ルポ●セックス・チェンジ・コーディネーター
八木澤高明(フォト・ジャーナリスト)

 石田さんはタイに住んで六年。性転換のコーディネートを始めて四年目に入る。そもそも石田さんの仕事はどのようなものなのか。ひと通り説明しておこう。

 一言で言ってしまえば、「タイでの性転換手術を希望する患者に対して、病院を紹介するだけでなく、入院から退院、手術前後に滞在するバンコクのホテルの手配など、全般にわたって面倒を見る」というのが彼の仕事である。

 昨年、GIDという名の会社を立ち上げていて、自宅マンションが彼のオフィスだ。病院とは代理店契約をしているので、日本から患者が来れば来るほど、彼の収入は増えることになる。ちなみに昨年の年収は、約三〇〇万円。バンコクで暮らすには十分な収入だ。性転換手術に興味を持った患者は、ホームページからメールで直接石田さんにコンタクトをとり、どのような手術を受けたいのかを伝え、日程を決める。

 女性から男性への性転換手術には、いくつかのステップがある。乳房の切除と子宮・卵巣を摘出する「ステップ1」、尿道延長、膣閉鎖、陰茎形成準備をする「ステップ2」、ペニスをつける「ステップ3」がある。石田さんが手配するのは、ほとんどが「ステップ1」であるという。というのは、ペニスをつける準備段階の「ステップ2」や「ステップ3」の場合、まだまだ技術途上のため病院側も多くの手術件数をこなせないのと、精神的な負担を強いられるため、その段階まで進む患者は稀なのだという。

 手術の日程が決まると、空港に患者を迎えに行き、バンコクでの滞在先であるエンポリアムデパート近くのホテルまで送る。その後、病院への送り迎えなど、患者が帰国するまでの面倒を見るのである。

思いがけない問い合わせ

 初めて石田さんと会ってから四日後、スクンビット通りにあるアイリッシュパブで石田さんに話を聞いた。日本人だけでなく、イギリス人も多く住んでいるバンコクにはアイリッシュパブがたくさんある。外国人の客はおそらく日本語を解することもなく、広々としたテーブルは話を聞くのに都合がよかった。

 石田さんがタイに来ることになったのは、仕事を辞めてぶらぶらしている時に、友人から「タイでゴルフをしよう」と誘われたのがきっかけだった。それまではタイという国に関して、何の興味も持っていなかったそうだ。石田さんをタイに誘った友人とはバンコクで合流することになっていたのだが、バンコクの空港に着いてみると、待ち合わせの場所に友人の姿はなかった。

「えっ、まじかよって思いましたよ。誰もいないんですもん。初めての国でしょう。どうしようって。空港の出口で呆然としていたら、キャビンアテンダントが中から出てきたんです。混乱していたんで、思わず泊めてくださいって言っちゃいました」

 もちろん、初対面の石田さんを部屋に泊めてくれるはずもなかったが、彼女はバンコク市内のゲストハウスまで連れて行ってくれた。

 その日の宿が見つかったことでひとまず安心した彼は、名前だけは聞いていたバンコクの歓楽街パッポンへ遊びに行く。派手なネオンに大音響で流れる音楽。ぼったくりに遭うのでは、と不安だったが、あてずっぽうで入ったゴーゴーバーには、片言の日本語を話すホステスがいた。その彼女を遊びに誘ったのだが、彼女に連れて行かれた別のゴーゴーバーに、なんとバンコクで合流するはずの友人の姿があった。その後、そもそもの予定どおりにゴルフコースを回ったのだが、ゴルフにはそれ以降興味は湧かなかった。そのかわりにタイという国に興味が湧いた。

「一〇日間だけ滞在したんですけど、人は親切だし、食い物もおいしい。ここは住めるなって思ったんです」

 日本に帰国後、タイの魅力に取り憑かれた石田さんはすぐに再度タイへ渡る。そうして日本人向け歓楽街として有名なタニヤにあるクラブのホステスの家に転がり込んだ。

「まだ二十代前半でした。そんな若さでタニヤで遊んでいる人間なんていないから、すごくモテたんですよ。だけど他の店でも遊んでいることがバレて、住まわせてくれた女性から追い出されてしまったんです」

 夜遊びではハメを外しながらも、石田さんはタイ語学校に通い始めた。タイとは一時的な付き合いではなく、長い付き合いになると彼なりに感じていた。そして、ずるずるとタイに住み始めたのである。そして今では流暢なタイ語を話すまでになった。

 初めの仕事は、バンコクで発行されていたフリーペーパーの営業だったが、その仕事は三ヵ月で辞めた。次は旅行代理店で働いた。その旅行代理店で働いている時に、思いがけない人物から問い合わせがあった。

「一年ぶりに日本へ帰ったら、昔日本で水商売をしている時に仲が良かったオナベの先輩と会ったんです。オナベだとわかる前は、何の疑いもなく男だと思っていて、一緒に温泉に行ったりするような仲だったんですよ。だから、『実は俺、女なんだよ』って言われた時は、本当にびっくりしました。性同一性障害なんて言葉も知らない当時の僕に、初めてそういうものを意識させてくれた人なんです。その友人がタイでの性転換手術について聞いてきたんです」

 石田さんは、大学中退後、水商売の世界に身を置いていた。日本で結婚と離婚を経験しているのだが、その相手は銀座のホステスだった。そして、水商売の世界には、FtMの人やMtFの人がたくさんいた。昼間の仕事に就いている人ももちろんいるのだが、そうした人々が仕事をするうえでハードルが低いのは、自分の病気をそのまま商売に繋げることができる水商売だ。石田さんにとって性同一性障害の患者は身近にいる存在だった。ただ水商売をしている当時は、その人たちを相手にビジネスをすることなど、これっぽっちも考えてはいなかった。

 しかし、その出会いが彼の人生を大きく展開させることになる。

「タイの性転換手術がどんなふうにコーディネートされているのか調べてみると、大手の代理店が細々とやっているだけだったんですね。その代理店の価格も安いとは言えませんでした。そこで、当時勤めていた旅行代理店の社長に、安いパックツアーを作って売り出したらどうかって持ちかけたら、よしやろうということになった。最初は病院にまったく相手にされませんでしたね。でも、ひとりまたひとりと患者さんを連れて行ったら、だんだん信用されるようになって、代理店契約を結んでもらえるようになったんです」

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