日本型雇用がダメなのか 大学生がダメなのか

海老原嗣生(株式会社ニッチモ代表取締役)×城 繁幸(「Joe's Labo」代表取締役)

昭和的価値観が人を苦しめている?

海老原 完全に同意します。その上で僕が注目しているのは、中小企業なんです。中小企業は千差万別です。優良中小企業というと、「無名だけど世界最先端の技術があって、○○の分野ではシェアがナンバーワン」といった話ばかりが出てきますが、中小企業の多様性のすばらしさは、そういうことではないと思うんです。 
 たとえば、残業がまったくない。何か新企画を打ち出すにしても、何回も企画書を出し直すことや、会議などもない。だからストレスも溜まらないとか。給与は大手の七割くらいだけど、その分、会社に子どもを連れてくることができるから、夫婦で働ける。だから、トータルでは普通の一人働きより、給料が一・四倍ぐらいになるとか。そういう本当の意味で働きやすい中小が、あるのです。大手の平均点美人とは全く違う、あきれるほどいろんな企業が。
 もちろん一方で、信じられないようなことをするひどい企業もたくさんありますから、そういうブラック企業に入ってしまった人を救う仕組みも必要なんですけど。

 中小企業は、「日本型雇用」の縛りがない分、フレキシブルなところはありますよね。多様性のコストを、中小企業が負担してくれているとも言えます。本当は逆に大企業が負担すべきだと思いますけど。たとえば中小企業は女性もしっかり採用しますね。あるベンチャー企業の社長は、「女性のほうが優秀だから、男は一切面接に回すな」と採用担当に指示しているとさえ言っていました。大手企業は日本型雇用ですから少々出来が悪くても男性を採る。勤続年数で人の給料を決める雇用制度では、どうしても女性は出産・子育てで休職期間ができるので、企業はサブとしか評価できない。ですから優秀な女性でも落とす。スーパー優秀な女性しか採らない。それで中小企業に優秀な女性が来ていて活躍しているという構造になっています。
 でも僕からすると、そもそもの問題は、みんながあまりにも「昭和的価値観」に染まりすぎているということなんです。

海老原 それはわかります。モノサシが一つしかないんですよね。

 ええ。みんな「偏差値」と「会社の規模」しか見ていない。でも本当はたとえば「収入」一つをとっても、額面以外のモノサシがありますよね。僕は大学を出てから、東京で上場企業に新卒入社したわけですが、工業高校を出た中学の同級生は地元の電気屋を継いでいるわけです。それで何年か経って帰省してみると、彼の給料のほうが高いんです。上場企業といっても電機メーカーでは、二十代だと四五〇万円ほどです。でも彼は五五〇万円くらい稼いでいる。しかも実家だから家賃はかからないし、駐車場代もタダ。物価も安い。

海老原 可処分所得で考えたら、かなりの差がつきますよね。

 そうなんですよ。さらに転勤もないし、ワークライフバランスもいい。彼と再会して「なぜ自分は残業ばかりの大手で働いているのか」とおおいに悩みましたね。こういう現実をしっかり教えてあげることが重要で、「大学を出たら、大都市の大企業に勤めて......」といった「昭和的価値観」にこだわって閉塞感に囚われていた人をラクにすることができるかなという気がしています。結局、「昭和的価値観」こそが人を苦しめているんです。
 また、これは中小企業の話ではありませんが、処遇と負荷のバランスを総合的に考えると、一番楽な仕事はコンビニのバイトだと思うんです。まずすばらしいのは仕事によって対価が決まっている職務給ですから、業界一位のセブン―イレブン・ジャパンと、数年前まで債務超過だったam/pmが同じ時給です。「うちは債務超過だから給料二割カット」なんて言われることもない。さらにセクハラ・パワハラはないし、残業もない。嫌だったら辞めればいい。こんなにいい仕事はありませんよ。

海老原 そして給料が安ければ人が集まらないから、自然と標準的な給与に調整されていくと。確かに、高度なホワイトカラーでは職務給は難しいと思っていますが、販売・サービス・個人営業などの定型職務では、そんな「職務給」概念が通用すると思います。

 実際にコンビニのバイトは最低賃金よりもはるかに高い水準です。つまり、流動化させてしまえば、ある意味で仕事の量も、仕事の対価も保障されるわけです。
 行きたくもないのに東京へ行って、書きたくもないのに履歴書を書いているような人たちを、とにかく減らしていきたいですね。

海老原 「昭和的価値観こそが人を苦しめている」という言葉は名言だと思います。知り合いの大学生にこういう子がいました。その子の父親は高卒で、息子に対して「おまえはどうにか大学へは行け」と言う。昭和的価値観ですね。さらに「田舎じゃ駄目だから、東京か京都の大学へ行け」と。それで彼は京都の鳴かず飛ばずの大学にすべりこんだわけです。でもその子の兄は父親の言うことを聞かずに、地元の缶詰工場に勤めた。その缶詰工場の給料は安くて、年収二三〇万円くらいだったそうですが、月々十何万円かはもらえる。実家に住んでいるから、お小遣いは十分にある。十八歳から勤めて二十五歳の時には貯蓄も結構な額になっていて、土地も安いから二十代で家を買うか買わないかという話になるわけです。一方、弟の彼は奨学金で通っているから、卒業する時には、年間数%の有利子負債四〇〇万〜五〇〇万円を背負うことになる。しかも鳴かず飛ばずの大学ですから就職先もおぼつかない。そしてフリーターになる。これは悲惨ですよ。かたや「昭和的価値観」で大学へ行った弟は重い借金を背負い、かたや「昭和的価値観」を脱して地元の缶詰工場で働いた兄は家を建てようとしている。これほどまでに差がつくわけですね。

若者はかわいそうなのか?

海老原 僕は『「若者はかわいそう」論のウソ』という本を書きましたが、「かわいそう」な若者はいます。まず、高卒・中卒の若者は非常にかわいそう。そして今お話しした「昭和的価値観」になびいて名もない大学へ行ってしまった人もかわいそう。さらに僕が強調したいのが、対人折衝能力のない人です。今はこの能力がないと生きていけない社会です。これもつらいですよ。一つのモノサシで決まっているわけ
ですから。城さんから見て、どうですか? 若者はかわいそうですか。

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