3・11と9・11 「断絶」の思考、「永続」の意志

会田弘継(共同通信社編集委員)

安全神話の崩壊

 9・11で、噴煙を上げ崩れ落ちた世界貿易センターのツインタワー。その場にいなかった人々も広く含め、メディアを通じて同時共有されたその強烈なイメージが、アメリカ人に意識のパラダイム転換を迫った。「断絶」の意識を生んだ。では、それはどのようなパラダイム転換であり、断絶だったのか。

 まず、安全神話の崩壊だ。

 アメリカが本格的な本土直接攻撃を受けたのは、独立後間もない時期の米英戦争(一八一二〜一四)以来だった。この戦争では首都ワシントンまで侵攻され、大統領府を焼かれた。ボルチモアのマックヘンリー要塞に激しい艦砲射撃を受けたが持ちこたえた。その時の情景を詠んだのが国歌「星条旗」の歌詞だ。まだ国家草創の時代だ。

 米国家が今日ある体裁を整えてから、その領土に本格的攻撃を受けたのは、ハワイ真珠湾攻撃が初めてだ。だがハワイは当時、準州であり、遠く何千キロも離れた島々だから、「本土」を襲われたという意識はなかった。

 つまり、国家草創期を終えて以来初めて本土に本格的攻撃をかけられたのが9・11だった、と言っていい。しかも、経済の中心ニューヨークの象徴のようなビルが倒壊し、政治の中心ワシントン郊外で国防の中枢であるペンタゴンの一角が破壊された。乗客によるテロリストらへの抵抗でペンシルベニア州の農村地帯に墜落した旅客機は、連邦議会かホワイトハウスを標的にしていた。政治と経済の中枢を狙われ、一挙に三〇〇〇人もの人が亡くなった(当初は六〇〇〇人ともいわれた)。

 それまでは、どんな戦争が起きようと、米本土への本格攻撃はなかった。第一次・第二次大戦でも、敗北したベトナム戦争でも、常に核戦争の恐怖にさらされた冷戦でも、そんなことは起きなかった。しかも、ソ連が崩壊し、冷戦を勝ち抜いたアメリカには当面ライバルはおらず、第二次大戦直後と並んで圧倒的な優位を維持していた。にもかかわらず、国内ムードは、クリントン大統領の不倫スキャンダルに象徴されるように弛緩していた。

 当時のアメリカを最もよく描写していたのは、デイビッド・ブルックス(当時は『ウィークリー・スタンダード』誌編集者、現在は『ニューヨーク・タイムズ』のコラムニスト)のエッセー「偉大な国民への復帰を」(一九九七年三月)だ。

 ブルックスは嘆いた。「二十一世紀を目前にして、アメリカ人はほとんどあらゆる分野で、国民として偉大さを追求するのをやめてしまった......こんにちの一般的な考えでは、歴史とは止むことなき前進の物語であるという考えはバカらしいとみる......歴史とは一種のカオスにすぎず、文化は相対性のごった煮の中の泡にすぎないのだ」。そして、一世紀前なら想像もできないほどの優位を得ながら、世界の中で何かをなそうという目的意識はない。大統領と議会がともに躍起になっているのは財政赤字削減だけ。国家が高い目標を掲げなければ、国民の眼差しも低いままだ、とブルックスは訴えていた。

 弛緩し、安全神話の中でまどろんでいたアメリカを突如襲ったのが、9・11テロだったのだ。それは、孤立主義から抜け出せずにいたアメリカに真珠湾攻撃が与えたショックとも似ていた。ある意味でそれより強い衝撃だった。

 ブルックスは9・11直後、弛緩していたアメリカが、すっかり逆になったのを、喜ぶようにして報告している。「この国は一ヵ月前よりもずっと良くなったように思えて、気分が高揚する。悲しみと怒りと恐怖を感じるべき時なので、罪の意識を感じるほどだ」。

 これは「偉大な国民への復帰」を説いていた保守派論客のブルックスだからであって、彼は社会風潮に「断絶」を求めていた。一般の市民は危機に当たって強い国民統合の意識(ナショナリズム)を感じる一方で(それは当時あふれかえった星条旗に象徴された)、いつなんどきテロにあって死なないとも限らない、自分の「生」の不確かさを感じるようになった。安心から不安へのパラダイム転換だ。

 9・11から約一〇ヵ月後、対イラク開戦の予感の中で二度目の駐在のためワシントンに着任した筆者は、テロに防備を固める市内の様子、アラブ系の人の姿を見ると怯える市民に、それまで見たことのないアメリカを見て、「断絶」を感じた。9・11を境にアメリカは、かつてなかったような新しいかたちの「戦時体制」に入ったように思われた。

 核を使用するテロの恐怖が政府高官らによってメディアで公然と論じられ、奇妙な毒物テロまがいの事件も発生し、アメリカ人の持つ楽天性がどんどんとむしばまれていくように思えた。

アメリカを語る

 そんな中でも、しずかに「断絶」を拒み、本来のアメリカ的なるものの「永続」を図ろうとする力を見ることがあった。
 当時、日本の外務省にあたる国務省が作成した「アメリカを語る作家たち」という小さな冊子があった。作家でもある外交官のアイデアでまとめられたのだという。巻頭にホイットマンの『草の葉』から選んだ、世代を超えてつながる庶民を歌った詩「ブルックリンの渡しを渡る」を掲げ、小説家、詩人、文芸評論家らが自分にとってのアメリカを語る掌編エッセーを集めた。

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