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医療ボランティアとして被災地に入って

斎藤環(精神科医)

 また、井原裕が私との対談で指摘しているように、被災者の感情は喪失感一色というわけではない。「被害感情とか、やり場のない怒り」「悲惨な運命をもたらしたものに対する恨み、あるいは呑気な暮らしをしている他の町の人々に対する妬み」などの要素は無視できない(井原裕+斎藤環「『日常』の回復のために精神科医は何ができるか」『現代思想臨時増刊 imago』、前掲)。そうした、いわば自ら"理不尽"と自覚できるような感情は、おそらくトラウマと区別がつかないはずだ。自己開示の禁欲については、「話してもわかってもらえない」という思いによるところもあったのだろう。

被災地におけるひきこもり状況

 被災地で私がもっとも意外に感じたのは、PTSDの知識以上に、私が専門としているひきこもりや不登校相談のニーズが大きかったことだ。もちろんこれは、ボランティアを受け入れてくれた精神保健福祉センターが私に配慮してくれたためもあろう。しかし現在、岩手県沿岸部を中心にひきこもり支援センター構想が立ち上がりつつあるとも聞く。

 ひきこもりに限った話ではない。被災地域においては、それまで抱えていた精神的な問題が、被災を契機に増幅されてしまうことが多いのだ。典型的なのはアルコール依存症で、以前から飲酒の問題を抱えていた人が、一気に依存症のレベルにまで至ってしまう事例が少なくない。同様に、夫婦間の葛藤を抱えていたカップルが震災直後に離婚したり、うつ病や統合失調症の治療中だった人たちが、被災して通院が中断したために再発したりということも珍しくない。

 まずは私の専門である「ひきこもり」について述べておこう。

 ある四十代女性のケースは、もう二〇年来のひきこもりで、彼女を預かっている親戚が困り果てて相談にやってきた。この女性は自宅の二階にある自室にひきこもっていたのだが、自宅が津波で破壊され、幸いにも命は助かった。驚いたのは、この女性は救助されるまで、瓦礫の中で三日間ほど両親の遺体と一緒にすごしていたのだ。状況から推測するに、おそらく両親は津波が来た時、彼女に逃げるよう説得しに行って、そこで津波にのまれてしまったのではないか。彼女はなぜか避難所に移ってからもしばらくは身元を明かさず、たまたま知人に発見されて親戚に連絡が行き、引き取られている。それでも避難所では、それなりに周囲と協調しながら生活していたのだが、親戚宅に移ってからはまたひきこもってしまって家事も手伝わず、仮設住宅への入居も拒んでいるのだという。

 そんなもの追い出してしまえ、と言うのは簡単なのだが、それができないがゆえの悩みである。

 ひきこもりと言えば、震災直後に次のようなニュースが報道されていた。

 岩手県の野田村で、三十代から約一五年間ひきこもっていた四十八歳の男性が、津波で家が流されて奇跡的に生還し、避難所で周囲と助け合いながら生活をはじめたというのである(三月十七日付 MSN産経ニュース)。この男性は七十代の母親と二人暮らしで、勤めていた東京の会社が倒産してから故郷に戻り、そのままひきこもってしまったのだという。地震の直後、津波が来るから逃げるようにと説得する母親の言葉を聞き入れず、とうとう母親だけが避難した直後に、襲ってきた津波で自宅は破壊された。崩れた屋根の梁にしがみつくなどして波が引くまで耐え続け、寒さに凍えつつも歩いて久慈市の避難所に着き、母親と再会を果たしたという。避難所での共同生活はそれほど苦ではないということだから、皮肉にも津波によって、この男性の社会性は回復されたということになる。

 不思議なことに、ひきこもりの人々は、津波が来ても逃げようとしなかったという話はほかにもある。長年ひきこもり事例とつきあってきた立場からすれば、その心情は必ずしも不可解ではない。彼らは二階の自室にいることが多いが、そこにいれば何とかなると希望的に考えている。彼らからすれば、来るかどうかわからない津波よりも、避難して近所の人たちに自分の姿を見られたり話しかけられたりするほうが恐ろしいのだ。信じがたいことかもしれないし、すべてのひきこもりがそうだとも思わないが、中にはそう考えて逃げようとしない人がいても不思議ではない。

 ジャーナリストの池上正樹は、被災地を取材したルポ『ふたたび、ここから』(ポプラ社)で、宮城県石巻市にあるひきこもり支援団体・NPO法人「フェアトレード東北」の活動を紹介している。活動責任者の布施龍一氏によれば、次のような変化が見られたとのことだ。

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