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日本ほど盗みやすい国はない

アメリカの情報も取り放題
小谷賢(防衛省防衛研究所戦史研究センター主任研究官)×黒井文太郎(ジャーナリスト)

"二流の小物"にしてやられる日本

小谷 農水省を舞台にしたスパイ活動の疑いが持たれた中国大使館元書記官の李春光なる人物。報道によりますと、人民解放軍総参謀部情報部所属、つまり軍の情報オフィサーであったようですが、実際に面識のある人の話などを総合すると、一流のスパイというわけではなかったようです。アメリカのCIA(中央情報局)に四〇年にもわたり潜伏し、情報を取っていた金無怠氏などとは比べようもない。事件自体もそれほど大したものではなかったから、メディアの関心は一気に冷めてしまった。

黒井 中国政府は、「彼は何もやっていない」と公式に否定しました。ある意味、真実かなと(笑)。ただ、個人的な蓄財が主目的だったとしても、中国軍の強大な諜報機関である「総参謀部第二部」所属の工作員に政権中枢に入り込まれたことは事実。そこは若干、留意しておくべき。

小谷 そうですね。あの事件からくみ取るべき教訓が二つあって、一つはそんな人物にも情報を取られてしまう日本の現実。もう一つは、あれは文字通り氷山の一角で、彼のような「プロ」以外の人間も含めて、政界や大学、民間企業などさまざまなところに・中国・が入り込み、情報を取ったり、あるいは影響力を拡大している事実があるということです。

黒井 日本に来ている中国人、というと語弊がありますが、本当にたくさんの人間が「侵入」して、手広く情報を集めていますよね。日本の防諜機関も、そこには警戒を強めている。今回は、おっしゃるように金目当ての小物が起こした、しょうもない事件だったようなので話が下火になってしまったけれど、本当はそういう日本の現実に、もっと目を向けてほしい。表沙汰にならないだけで、結構やられているのです。

小谷 中国のスパイ活動は非常に巧妙で、違法行為をほとんどやらないんですね。戦後立件されたスパイ事件は大半がソ連・ロシアと北朝鮮によるもので、中国は一ケタにすぎません。例えばロシアだったら、日本に派遣されているSVR(ロシア対外情報庁)のオフィサーが直接機密を取ろうとする。これはハイリスク・ハイリターンで、捕まる可能性も高いわけです。ところが中国は、民間人も含めて広く浅く、人海戦術でくるから、押さえようがないところがある。そういう意味では、今回は「別件」でしたが、むしろよく立件したなという印象を持ちます。

巧妙極まる「親中派」づくり

黒井 そういう足のつきにくい諜報活動を、中国はアメリカなど世界中でやっています。一つひとつは機密に該当しないようなものでも、とにかく集めて本国に送る。するとそこにも何万人というアナリスト集団がいて、端から分析していくんですね。そうすると、極めて重要な情報に組み上がったりする。そんなやり方をするのです。
 加えて、「親中国派」づくりを、外交部を含めてさまざまな形で展開する。あれも、中国がロシアや北朝鮮よりすごいと感じるところです。

小谷 警視庁などの資料によると、日中親善を隠れ蓑にして、これも幅広くやってますね。日本人のほうはまったく無意識のうちに、彼らに協力させられてしまう。

黒井 これは公務員の小谷さんは話しにくいだろうから僕がしゃべりますけど(笑)、協力者になるかどうかは別として、中央省庁や自衛隊のOBの方なんかまで、けっこう取り込まれてますよね。中国に招待され、いろんな宴席でもてなされて、帰ってくると「なんだ、中国はいい国じゃないか」というような人が結構いらっしゃる。

小谷 へぇ。(笑)

黒井 これも中国の諜報活動の特徴で、とにかく長い目で見る。ロシアのように、飲ませて食わせて小遣い渡したら三回目ぐらいには「あれをよこせ」と迫ったりするのではなく、時間をかけて・トモダチ作戦・を展開するわけです。ターゲットに会うときは、どこの出身で誰と仲がいいのかといった個人情報を調べ上げ、相手の興味を引く話から徐々に懐に入っていく。中国のスパイの標的は、政府機関などに限りません。

小谷 例えば大学。留学生として来たり、教授として赴任したり。日本の大学はそういうところの脇が甘いというか、あまり意識が高いとは思えません。でも理系の学部は技術の宝庫なんですよ。教員であればそういうものに直接触れられるし、学生は院に行ってより高度な知識や技能を身に付けることができます。さらに大学を出た後は日本企業に採用される道も開ける。そうしたルートを何十年もかけて構築していくのが、彼らのやり方なのです。

黒井 日本で欲しい情報の一つが、ハイテク。中国は特にその傾向が強いのではないでしょうか。まず金儲けというか。

小谷 そうですね。これは中国に限りませんが、おそらく最もプライオリティが高いのは米軍の情報だと思います。ただ直接米本国で取ろうとしてもガードが堅い。それに比べれば、日本で米軍の情報を狙ったほうがまだ何とかなりそうな感じがあるわけです。中国だけではなく、いろんな国が日本国内で情報収集活動をやっているのだと推測します。
 一九八七年に米軍横田基地の機密がソ連と中国に漏れていた事件がありました。おもしろいのは、ソ連は大使館ルートを使って入手し、中国は民間のラインを使っていたこと。違うアプローチで、米軍情報を入手したわけです。また二〇〇七年には、米海軍と海上自衛隊が共有していたイージス艦の情報が漏れた可能性があると報道されました。あの一件は、とにかくインパクトが大きかった。

「機密」が存在しない国

黒井 インテリジェンスに関しては、日本は世界の中でとても奇妙な、特異な存在です。他の諸国との違いの最たるものは、情報漏洩を罰する「スパイ防止法」が存在しないこと。

小谷 そもそも日本では、「国家機密」の定義すら曖昧です。まず「国にとっての機密とは何なのか」から議論を始めないといけないというケースは、外国では聞いたことがないですね。

黒井 先進国だけじゃなく、途上国でも機密漏洩には厳しいですよね。最高機密を漏らしたら、死刑か終身刑。

小谷 中米のコスタリカには軍隊がありません。しかし、カウンター・インテリジェンス(防諜)機関はちゃんとあるんですね。本気で国を守ろうと思ったら、不可欠の機能のはずなんですが、日本にはカウンター・インテリジェンスを専門とする独立した組織が未整備のままです。
 八五年に、時の中曽根内閣が「スパイ防止法」を作ろうとしたのだけれど、頓挫した。あれが大きかったですね。スパイ防止法や秘密保護法などは票にならない、叩かれるということで、政治家はすっかり消極的になってしまった。逆に日弁連やマスコミは、批判の仕方を学びました。何かあれば、「国民の知る権利を奪うのか」「報道や取材の自由を制限するのか」と言えばいい、と。

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