日本ほど盗みやすい国はない

アメリカの情報も取り放題
小谷賢(防衛省防衛研究所戦史研究センター主任研究官)×黒井文太郎(ジャーナリスト)

黒井 公安用語で言う「影響力のエージェント」。ターゲットに有用な情報を流したり、資金援助をしたりして、「偉く」なってもらう。しかるべきポジションに就いたら、中国に役立つオピニオンの・語り部・を演じさせるわけです。当人にはエージェントの意識はなくてもある種のマインドコントロールで、いいように操られてしまう。さっきも言ったように、突然「親中派」に転じる人はたくさんいますから、本当に心配ですね。

小谷 そんな状況であるにもかかわらず、今は彼らを監視することしかできません。それも直接監視で、基本的には電話やメールの盗聴、傍受などはいっさい認められていない。諸外国のインテリジェンス機関にとってみれば、日本では盗聴などを気にせず情報収集や工作活動を行えることになります。

黒井 公安当局も対中国カウンター・インテリジェンスを最重要課題に位置づけはしているものの、ウォッチしかできないのでは、限界がありますよね。

「サイバー」は日本人向き

小谷 警察庁や公安庁の現場レベルはかなり奮闘しているようですが、もともと今のような中国の諜報活動を想定していたわけではありません。おっしゃるように現状では十分に対抗するのはなかなか難しい。やはり外国人スパイの監視にとって必要な傍受に関する要件をもっと柔軟にしたり、法律を整備して公安庁に外国のスパイ活動を防ぐ任務を付与するなりしないと、効果的なカウンター・インテリジェンス活動は難しいと思います。

黒井 日本の防諜機関が中国を甘く見ていたのは事実ですね。今になって、中国語が達者で、身元のしっかりした人材を探しているのですが、外務省、防衛省、警察庁、公安庁で奪い合いになっている。

小谷 従来の体制はロシアシフトで、それなりの人数も割いていた。
 ともあれ、現状が厳しいからといって何もしないのでは仕方ない。一人ひとりの意識を少しずつ上げていくだけでも、状況はずいぶん変わるのではないかと思います。特に大学関係。国立大学に関しては経産省がようやく指導するようになってきましたが、それでもカウンター・インテリジェンスや情報保全に対する問題意識が希薄です。毎年どこの大学も多くの留学生や外国人研究者を受け入れていますが、バックグラウンドを調査しているという話は聞いたことがない。ほとんど無条件で受け入れているそうですね。

黒井 政府系のシンクタンクもしかり。

小谷 民間は国に倣います。まずはお役所が範を示さないと。そこが一つ大事なところだと、私は思います。

黒井 昨年、三菱重工のコンピュータシステムがハッカーに侵入され、情報が盗まれるという事件が起きました。ヒューミント(人的情報収集)だけでなく、それ以上に、今後はサイバー攻撃への対応が大きな意味を持つようになるのではないでしょうか。ここでも、軍を後ろ盾にものすごい数のハッカーが「活躍」する中国に、はたして勝てるのかという気はするのですが。

小谷 ヒューミントに比べれば、技術情報がらみは日本人向きだと思いますよ。ただ現状では、集めるのも分析するのも、人が圧倒的に足りません。体制を何倍かにできれば、それなりの成果は挙げられるのではないかと、私は思うのですが。

黒井 サイバー攻撃は、犯人を特定することが極めて難しい。外交の場で抗議しても「知らない」と言われて終わりですから、これには自分たちもハッカーを育てて、対抗していくしかありません。ニート的な人間を含めて、確かに人材はいる。サイバー犯罪専門のセクションを作り、予算を付けて、そういう人材を集め、教育すべきだと思います。

自前の情報なくして自前の外交はできない

小谷 もちろん、攻撃から身を守るだけでは、情報戦を勝ち抜くことはできません。自前の情報がなければ、自前の外交はできないと思います。一方的にもらう情報には、必ず相手の意図が入っています。典型が二〇〇三年のイラク戦争のときの大量破壊兵器に関するアメリカの情報で、イラクにおける自前の情報収集能力が限られていた日本には、真偽を確かめようがなかった。
 でも歴史をたどっていくと、アメリカでさえイギリスにいいように操られていた時代がありました。多少時間がかかっても、インテリジェンス能力の涵養に、本気で取り組むべきです。

黒井 この点でも、「何が日本の安全保障にとって重要な情報なのか」というところから議論を始めなければならないのが辛いところではありますが、やはり座して待っているわけにはいきません。
 個人的には「日本版CIA」があればいいと思うのですが、すぐには難しい。まずは、中国、北朝鮮、それに東南アジアあたりに絞り、重点的な情報収集に取り組んだらどうでしょうか。

小谷 実はアメリカ以外の国は、あまり中国の情報が取れていないと聞きます。欧州の国々が、トレンドを汲んで諜報機関の中に中国課を作ったはいいが、何をしていいか分からないとか(笑)。なんだかんだ言って、日本には中国に対する蓄積があるでしょう。まじめに対中国インテリジェンスをやれば、比較優位に立てる可能性はあると思いますよ。

黒井 組織の整備も大事ですが、各機関で人を育てないといけませんね。十分な訓練と実経験を積んだ、海外でも通用するインテリジェンスオフィサーは、日本にはまだまだ少ない。

小谷 個人的にはインテリジェンス能力の向上のため、なんとか外国のインテリジェンス機関と手を組めないものかと思っています。例えば米英豪などと情報を共有するようになれば、へたに漏らしたりすれば責任問題になりますから、秘密保持の意識は格段に高まるでしょう。情報は「等価交換」だから、もらおうと思ったらそれなりのものを差し出さなければならない。情報分析のクォリティも上がる。

黒井 なるほど。

小谷 ただこの前、今の話を外国の専門家にぶつけてみたら、残念ながら「まだ早いのではないか」と。
 ちなみに、彼は日本の政治家に対しても「インテリジェンス能力を高めるために、日本はどうしたらいいのか」とレクチャーしたのだけれど、日本は何も変わらない。何人やって来ても、元のままじゃないかと、私が叱られました。

黒井 だから、問題意識の片鱗ぐらいはあるのでしょうね。でも、いざやろうとすると、あまりの障害の高さに怯んでしまう。
 ただ、いろんな人と話をすると、少なくとも「スパイ防止法」が潰れた頃に比べれば、日本のインテリジェンスの仕組みを何とかせねばと考える人が増えているなとは、感じるんですよ。

小谷 実務の人たちほどそのような熱意が強いと聞きます。世論のアレルギーも昔ほどではなくなっている。

黒井 世論は変わってきた感じがしますね。

小谷 やっぱり、あとは政治です。この分野の問題意識があり、かつ力のある人が旗を振って引っ張ってくれないといけない。それがあれば、大きな流れにできるかもしれません。なにしろ今まで抜本的な改革を先送りにしてきたわけですから、課題は山積しています。恐らく動き出せばドラスティックに変わるのではないでしょうか。

黒井 その期待は、持ち続けたい。
(了)

〔『中央公論』20128月号より〕

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