ウスビ・サコ✕内田樹 「ゲリラ的教育」でオンライン時代の学生に刺激を

ウスビ・サコ(京都精華大学学長)×内田 樹(神戸女学院大学名誉教授、凱風館館長)×司会:小林哲夫(教育ジャーナリスト)
撮影:中森健作

キャンパスという「場」の力

─コロナ禍により、大学教育はオンライン化という大きな変革を迫られました。その効果と課題について現段階の印象をお伺いします。

内田 オンライン授業の問題は、それが本質的にオンデマンド(on demand=要求があり次第)だということですよね。アカデミアとは本来、学生たちがふらふらできる場所のはずです。もののはずみで「そんな学問分野がこの世に存在するとは知らなかった科目」を履修し、図らずも学ぶ気がなかったことを学んでしまったという偶然性がアカデミアの豊饒性と開放性を担保していたと思うんです。アカデミアの強みは「バイアクシデント(by accident=偶然)」な出会いを提供できることなんです。

 でも、オンデマンドというのは、メニューを見てから料理を選ぶようなもので、自分の好き嫌いや関心の有無で出会うチャンスを自分から限定してしまう。「求める通りのもの」は手に入るけれど、「図らずも学んでしまう」というチャンスは激減する。オンラインは学習弱者には親和的な学習手段ですけれども、一方で、学習強者をさらに成長させるバイアクシデントの教育機会は失われる。ですから、学生たちを三つか四つの層に分けて、それぞれ最大の利益を引き出せるシステムを工夫していく必要があると思います。

サコ そうですね。日本のキャンパスはまるで聖地です。教育現場に身を置くこと自体に価値があり、今回それができないことで皆が不安にさらされたのです。「学習の機会を止めないよう、オンラインでも議論しましょう」といくら伝えても、学生は「あのキャンパスに肉体が行っていない」ことにアイデンティティが揺らぐほどの所在なさを抱いている。

 これは幼稚園から高校まで、フィジカルな「場」に依存する教育の弊害でもあると思います。だからその「場」を重いと感じる人は引きこもってしまう。アメリカには全科目オンラインで履修可能とした大学もありますが、日本では難しいでしょう。「場」があって初めて教育は成り立つと、誰もが思っていますから。

 もちろん、キャンパスは小さな社会であり、内田先生がおっしゃったような出会いの偶然性という利点を持っています。それはつまり、キャンパスで学生が学ぶものは授業からだけではないということであり、逆に授業だけならオンラインでも十分と言える。現在本学では、学生が様々なことで自由に使える複数のコモンズが存在する校舎を新設中です。キャンパスに最も必要なのは、学生が偶然に人、情報や知識と出会える場所、議論する場所、何かが生起できる場所ではないでしょうか。

内田 その通りだと思います。教室での教育活動はオンラインで代替できる。でも、思いがけない知的活動と出会って、化学反応を起こすという偶然的な出会いはフィジカルなキャンパスでしか体験できない。

 オンライン授業で学生の平均学力はたぶん上がるでしょう。出席率も向上するし、教員とのコミュニケーションも密になっているから。でも、「大化け」する学生はなかなか出にくいんじゃないかな。文部科学省は数字だけ見て「なんだ、オンラインで行けるじゃないか」とあっさり言うかもしれませんけれど。(笑)

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