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田嶋幸三×三森ゆりか JOCやサッカー界のエリートが飛びつく「言語技術教育」(上)

田嶋幸三(日本サッカー協会(JFA)会長、日本オリンピック委員会副会長)×三森ゆりか(つくば言語技術教育研究所所長)

ドイツは子供でも主張する

─お二人が言語技術の大切さに気付いたきっかけは何でしたか?

三森 私は親の仕事の関係で中学から高校までの四年間、ドイツで暮らすことになりましたが、そこで大変な思いをしました。日本にいる時はそれなりに作文も得意だったのですが、自分の国語力が全くドイツで通用しない、ということを思い知らされました。単に外国語としてドイツ語を上手く操れないといった問題ではなくて、母語、つまり日本語で論理的に考えて表現する、という訓練も、また習慣もなかったために、ドイツでのコミュニケーションに非常に苦労しました。
 例えば、サッカーの試合を見て「今日は面白かったね」という会話自体が、ドイツでは成り立たないのです。どこが面白かったのか、何が面白かったのか、明快に表現することを求められるし、質問もされます。ドイツの人たちは幼少時から言葉で論理的に考え表現する方法を教えられて育つので、そうした受け答えができないと相手にしてもらえません。

田嶋 僕もドイツで強烈な経験をした一人です。僕は社会人になってからケルンスポーツ大学に留学しサッカーの指導者養成について学び、また現地の子供たちを指導した時、日本との違いに愕然としました。
 拙著『「言語技術」が日本のサッカーを変える』でも紹介しましたが、例えばサッカーの練習をしている時、指導者がゲームを止めて「なぜそこへパスをしたんだ?」と選手に聞くでしょう。日本の子供なら質問されると黙ってしまい、指導者の目を見て、指導者に答えを求める。そんな傾向が一般的ですが、ドイツの子供たちは全く違いました。「彼は足が速いから、あっちに走り込むと思って蹴ったんだ」「でも、僕は違う方向にパスをくれと指示したはずだろう」と、自分の考えを主張しあう。「ボールを蹴る」こと一つに、自分なりの理由や目的がはっきりとあって、子供だろうがきちんと言葉で主張する。それが日本のサッカーとの大きな違いとして見えてきました。

三森 たしかに日本の子供たちは自分の言葉で表現することが苦手です。いや、その前に「なぜそうしたのか」という動機や理由について、考える習慣がないし、親もそれを問いません。子供たちが「何となく」とか「誰かがやっていたから」と答えても許されてしまう社会です。そうした環境が、先ほどの記者の「どうでしたか?」という曖昧な質問につながっていくのでしょう。

田嶋 そのあたり、日本と欧米諸国とでは決定的に違いますね。僕にとってはドイツで体験したような、論理的で明確な言語表現は非常に新鮮で面白かったのです。プレーの一つ一つに「なるほどそういうわけなのか」と根拠があり、それが明快になる快感というのかな。やっていることの意味がはっきりして腑に落ちる気持ちよさがありました。考えてみればスポーツの動作というものには、一つ一つに狙いや意図があるのです。たとえ自覚していなくても。ドイツではそれを言葉によって的確に論理的に捉え、その上で戦術なり方法論を考えていたのです。
 その後しばらくして日本サッカー協会の技術委員長を引き受けた時、僕には取り組みたいテーマがありました。海外で優れた教育システムを見聞し、世界に通用するサッカー選手を育成するためのカリキュラムを日本にも作りたい、と考えたのです。しかし、なかなか方法論がまとまらなくてモヤモヤしていた時、三森さんの本『論理的に考える力を引き出す』に出あった。一気に頭の中が整理されて「そうだ、日本のサッカー教育に足りない要素とは、プレーの技術ではなく、論理的に考えてそれを表現する力の養成なんだ」と目からうろこが落ちましたよ。

三森 突如田嶋さんから連絡をいただき、当時の日本でほとんど取り組まれていなかった言語技術の教育をぜひやりたいと誘って下さいました。

田嶋 そう、アカデミーを開校した際、三森さんに言語技術をカリキュラムに導入していただいたのです。

三森 田嶋さんが今指摘されたように、重要なのはまずサッカーの技術を教えることではなくて、土台として言語技術を習得し論理的思考を作ること。その土台の上に、スポーツ、企業活動、研究、芸術、音楽といった様々な枝葉が伸びていく、という教育観というか認識です。私たちがドイツで発見したことは、まさにそのことでした。二人ともそこで意見が一致したからこそ、アカデミーで思い切って言語技術のカリキュラムを導入できたのだと思います。

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