高野之夫豊島区長「最初にかけられた言葉は『区長に就任されてお気の毒です』だった」

豊島区は消滅可能性都市をどう脱却したか(前編)
高野之夫(豊島区長)

矢継ぎ早に打った対策

◆どう行動されたのでしょうか。

要因を分析するチームをすぐ役所内に立ち上げました。豊島区は人口密度とともに、75歳以上単身高齢者世帯割合も日本一(平成27年国勢調査)でした。人口密度がいかに高くても、子育て層がいなければ、人口は先細りになります。検討チームでは、「若年女性の転入が大幅に減少すること」が消滅可能性の主因と結論づけて、その対策を矢継ぎ早に打ち出していきました。

d505684aa9178d4c03288a07c96e9ea648c98e0e.jpg高野之夫豊島区長(写真:中央公論新社)

◆具体的にはどのような政策ですか。

F1層(20〜34歳)の女性の意見をまちづくりに取り入れるため「としまF1会議」を設置しましたが、そのキックオフイベントとして、区内在住、在勤、在学の20代から30代の女性を中心に、ワールド・カフェ方式の「としま100人女子会」を催しました。ワールド・カフェ方式とは、大人数がグループに分かれ、グループのメンバーを入れ替えながら、自由に意見を交換していくもので、忌憚のない意見をたくさんいただくことができました。

◆その報告書を拝見すると、「子育てしやすい」「ほっとできる」「子どもが走り回れる」「清潔な公園がある」といったキーワードが浮かび上がっていますね。中でも「子育て・教育」に関する要望が、圧倒的に多い。この結果を、政策にはどのように反映されたのでしょうか。

柱にしたスローガンは「子どもと女性にやさしいまちづくり」です。具体的には、保育所待機児童ゼロと、すべての区立小学校で夜7時まで学童保育を実施することを、スピード感をもって進めていきました。

たとえば私立認可保育所の数は、13年に9園でしたが、21年には69園に増加しています。13年に270名だった待機児童数は、17年・18年とゼロを達成しました。その後、国が待機児童の取り扱いを見直したことにより、19年は若干の待機児童が出ましたが、20年も再びゼロ、21年についてもゼロを達成できる見込みです。

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