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大屋雄裕 新型コロナによって生じた個人の自由の制限について考える

大屋雄裕(慶應義塾大学教授)
大屋雄裕氏
 新型コロナによって生じた個人の自由の制限という問題を、日本は「お願い」と同調圧力で乗り切ろうとした……。大屋雄裕慶應義塾大学教授が、新型コロナ感染、騒音、たばこなどを例に、法規制と個人の自由のバランスについて論じる。
(『中央公論』2022年9月号より)

新型コロナで制限された個人の自由

 イギリスの政治哲学者J・S・ミル(1806~73)は、人々の自由を保障することが、社会全体の幸福を約束することになると言いました。当時すでに人々の価値観が多様化し、何が幸せかは人によって違ってきていました。だから、自分にとって何が幸福かを一番よく知り、どうすればそれが実現するかを理解している一人ひとりが、自分の意思で自分の幸福を決める自由を保障することで、その人の幸福が最大化され、結果的に社会全体の幸福も最大化すると考えたのです。これが近代の自由の論理です。

 この前提には、個々人の行動範囲が、かなりの程度まで独立していることが必要とされます。人々の生活の範囲が重なり合うと、両者の間に相互関係が出てきます。たとえば、マンションの隣人がヘビーメタルを大音量で聴いていたとします。本人は幸せでしょうが、隣の部屋に住む私は、静かなクラシック音楽を聴こうとしても妨げられてしまいます。

 このような他人の利益を侵害する行為を「ニューサンス」と言います。典型的なのは騒音、悪臭、振動など。肉体に直接的な痛みはありませんが、暮らしの障害になる迷惑な行為です。ニューサンスには一定の取り締まりが必要ですが、完全に禁止すべきものではありません。

 たとえば、周りに家がないアメリカの大草原のようなところなら、大音響でヘビーメタルを鳴らしても隣家に聞こえないので問題になりません。あるいは、フジロックフェスティバルのような音楽イベントの会場でヘビーメタルを演奏しても、みんながそれを求めているから問題ありません。個々人の空間が重なり合っても、その空間にいる人々が共通の価値観を持っていれば許容されます。

 新型コロナウイルス感染症で制限された個人の自由も、結局はこの問題だと私は思います。私一人の人生にとってはよい選択だとしても、その行動が他者に新型コロナを感染させてしまう可能性があれば、そのことを考慮しなければいけません。たとえば、海外旅行に行って新型コロナに罹っても、「自分は、いい思い出ができたから仕方ない」と許容する判断はあり得ます。しかし、その人が他の人に新型コロナをうつしてしまったら、うつされた人はたまったものではありません。

 風邪やインフルエンザなど、これまでも他人の行動の影響を受ける疾病がなかったわけではありませんが、その範囲はかなり限定的でした。ところが、新型コロナでは、個人が影響を与えてしまう空間のサイズが拡大しました。その結果、これまでは相互干渉のなかった人々の間にも衝突が生じるようになりました。一人ひとりにとっては最善の選択肢でも、他の人に与える悪影響が非常に大きくなってしまう場合、その間をどう調停するか。これが新型コロナによって生じた自由の制限の問題です。

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