佐藤 信 オンライン婚活プラットフォームの現代史

佐藤 信(東京都立大学准教授)

オンライン婚活の誕生

 2007年に「婚活」という言葉が生まれる前から、積極的な活動によって結婚相手を見つける動きは始まっていた。21世紀に入ってから広く見られたこれを、筆者は「婚活1・0」と呼んでいる。そこでは、すでにインターネット上での出会いの場も提供され始めていた。そこには三つの源流があった。

 第一は「黒船」である。1995年に米国でサービスを開始し、すでに世界中で多くのユーザを獲得していたMatch.comは2004年に日本語サイトを正式に立ち上げ、07年に日本法人を設立した。日本では期待されたほどのユーザを獲得できなかったものの、本格的なデーティング・プラットフォームの先駆けだった。

 第二は出会い系である。1999年にサービスが開始されたNTTドコモのⅰモードなどによって携帯電話でインターネットを利用する若年層が急増して、現在では考えられないようなシンプルなウェブサイトが若者に出会いの機会を提供した。後述するように、そのなかから婚活産業に進出する事業者が現れたが、現在一般的になっているデータベース構築や条件検索などは望むべくもなかった。

 第三は既存の結婚情報サービスの参入である。大手の結婚情報サービスは早くからコンピュータで情報を管理し、支店間などで共有するシステムを構築していた。こうした事業者がインターネット事業者と結びつくかたちでインターネットを利用し始めたのである。たとえば古参の結婚情報サービスであったサンマリエ(旧サンマーク)は2006年に全研本社の傘下に入ってオンライン事業に積極的に進出し、オーネットも07年にその結婚情報サービスを楽天に譲渡してオンラインに打って出た。

 ところが、これら日本におけるオンラインでの婚活サービスは大きな壁に直面した。インターネット事業への規制の緩い当時、「出会い系」サイトが跋扈し性犯罪をも誘発したことで、パートナー探しとインターネットという組み合わせが社会的に警戒されたのである。

 そこに「婚活」という言葉が登場したことは好都合だった。恋愛ではなく結婚のためのパートナー探しを主眼としていた結婚情報サービスは、さっそく「婚活」という言葉を多用し「出会い系」との差別化を図った。ほぼ同時期、「出会い系」サービスは、08年に届け出や年齢確認を義務化した「改正出会い系サイト規制法」が成立したことで冬の時代を迎えた。

 規制を受け入れて生き延びた事業者の一部は、流行になっていた「○活」という表現にあやかった「恋活」(こいかつ/れんかつ)という用語によって、かつての「出会い系」の緩く危ういイメージとの断絶を図っている。「恋活」という言葉はあまり浸透していないし、「恋カツ」や「コイカツ」など似た単語が使われる場合もあるので耳目に触れることは少ないだろうが、上記の流れは図2を見るとよく分かるだろう。

図2.jpg

 こうして、海外でオンライン恋活とオンライン婚活が同じプラットフォームで行われるのに対して、日本ではそれぞれに特化したプラットフォームがつくられてきた。

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