石田光規 最適化・リスク回避を目指す人間関係の行く末

石田光規(早稲田大学文学学術院教授)

本音を言えず、孤立してゆく人たち

 私の周りには、「つきあう友だちはコスパで選ぶ」と話す大学生だけでなく、「サークル、バイト、ゼミ、いろいろな場所に所属しているけれど、本音を出せるところはどこにもない」と話す学生もいる。また、別の学生は「友だちとケンカをすると修復する機会がなさそうだからケンカはできない」と語る。

 つながりを強制する要素がなくなり、関係から撤退することも含め、自由につながりのあり方を選べるようになれば、自由さを活かして最適な関係を築ける者、他者からの拒絶を恐れて対立の回避に走る者、誰からも選んでもらえず孤立してしまう者が現れるようになる。リア充、ぼっち、スクールカーストなど、00年代以降、関係の多寡により人を値踏みする言葉がはやりだしたのも、こうした傾向と無縁ではあるまい。

 他者との衝突を避ける傾向、関係から離脱して孤立する傾向については、データからも確認できる。図1は、内閣府が高齢者と若者に行った国際比較調査の結果である。高齢者については「高齢者の生活と意識に関する国際比較調査」、若者については13歳から29歳を対象にした「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」に基づく。

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 高齢者については、「家族以外に相談あるいは世話をし合う親しい友人」について「いずれもいない」と答えた人の比率、若者については、「あなたは、悩みや心配ごとがあった場合、だれに相談したいと思いますか。この中からあてはまるものを、いくつでも選んでください」という質問に対して、「だれにも相談しない」を選択した人の比率を表している。

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 この図を見ると、高年層、若年層いずれも、誰かに相談したり頼ったりしない人は、日本で顕著に多く、経年的にも増加傾向にあることがわかる。日本社会で孤立する人が多いことは、00年代初頭から指摘されており、関係からの離脱がひとつの問題になっていることは間違いない。

 衝突や対立を避ける傾向は、昨今行われた若者の調査に見出すことができる。図2は第一生命経済研究所、青少年研究会、社会学者の友枝敏雄(友枝編、2015)らのグループが行った高校生調査の結果である。第一生命経済研究所、青少年研究会は、いずれも16歳から29歳の若者を対象とし、高校生調査は高校2年生を対象としている。

 図を見ると、現代社会を生きる若者が対立や衝突を避けるよう動いていることがわかる。「多少自分の意見をまげても、友人と争うのは避けたい」という質問に「そう思う」「ややそう思う」と答えた若者は、1998年、あるいは2001年に比べると、2011年で顕著に増えている。

 一方、友だちと「意見が合わなかったときには、納得がいくまで話し合いをする」という質問に「そう思う」「ややそう思う」と答えた人は、02年の50・2%から12年は36・3%と激減している。「友だちと意見が異なっても、態度や表情に表さないようにしている」人についても、そこまで顕著ではないものの07年から13年にかけてわずかに増えている。

 これらの調査は、異なった人びとを対象に行われていることと、調査年次がやや古いという点で若干の留保を要するものの、少なからぬ若者が友だちに対して率直な物言いをしづらく、あるいは、しなくなっていることは確かなのだろう。

 このような傾向は大学の授業にも見出すことができる。私が早稲田大学に着任した14年頃には、ゼミでのある学生の報告に、ほかの学生が率直に意見を述べる光景が見られていた。しかし、19年あたりから率直な物言いは影を潜め、どんな報告にも拍手をして「ふわっと終わる」光景が定着した。

 今時の若者にとって、たがいの主張をぶつけ合う行為は、円滑な交流を妨げる「コスト」や関係の消失につながる「リスク」でしかない。だからこそ彼・彼女らは、対立や衝突の火種を事前に察して、それを回避する作法を身につけているのである。

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