筒井淳也 人の生涯はどう変遷してきたか――婚姻・親の介護・子育てから考える

筒井淳也(立命館大学教授)

団塊世代の親世代の「生涯」――孫と一緒に生きる時期は短い

 1920年代生まれといえば、団塊世代(47~49年生まれ)の親を多く含む世代である。思春期が戦時中であったことは、さしあたり置いておこう。まず、この世代の20歳時平均余命(20歳に達した人が平均してあと何年生きるか)は、男性で40年、女性で45年ほどだった。したがってこの世代は、平均的には60~65歳で人生を終える。孫が生まれる前に亡くなっている場合も決して珍しくない。

 この世代が「働き盛り」の30歳、1950年代の時点では、サラリーマンは決してマジョリティではなかった。働く男性の半数近くは、家業に従事していた。高度経済成長の始まりの時期、まだまだ日本は農業・自営業の時代だったのだ。地元で生まれ、結婚し、生涯を終える人生にリアリティがあった。

 この世代の婚姻率はきわめて高く、40歳時点で未婚の人は5%もいないくらいだ。この世代はいわゆる「人口転換」の過渡期であった。人口転換とは、多産多死から多産少死を経て、少産少死へ転換することである。子がたくさん生まれるが、以前よりも生存率が高い。したがって成長した子どもが多く、孫の数も多かった。団塊世代の出生後、日本の出生率は急激に減少した。後で振り返るが、団塊世代の親に子が多いことは、そのまま「団塊世代はきょうだいが多い世代だ」ということを意味する(以下、兄弟姉妹を「きょうだい」と表記する)。

 男性では家業に就く人がまだ多かった世代だが、女性はどうだろうか。女性も、嫁ぎ先の家業に従事することが多かった。雇用されて賃金を得ていたのはほんの2割程度だった。ただ、この世代の女性の「生涯」に強く影響したのは働き方というよりも子の多さ、出産回数が多かったことだ。

 20歳で結婚して22歳で第一子をもうけ、そこからおよそ2~4年ごとに出産を経験し、40歳で末子を産む、といったケースも珍しくなかった。末子が成人する頃には、そろそろ寿命が見えてくる。成人してからの人生のほとんどは「子育て」期だ。前記の例だと、22歳の第一子出産から、40歳で産んだ末子が6歳になるまでが子育て期間だとすれば、その長さは24年に及ぶ。65歳まで生きるとすると、20歳からの人生45年のうち半分以上が子育て期間になる。このような出産キャリアをもちながら勤め人をするのはほぼ不可能だろう。ただ家業に従事する場合には周囲に親族が多く、また職住近接でもあるので、「仕事と家庭の両立」が可能だったのだ。

 よく、「昔の家族の仲は今と比べると緊密だった」と言われる。この見方は、ある意味ではきわめて的外れだ。団塊世代の親の世代は、場合によっては孫が10~20人に及ぶこともある。そして子は、長男を除けば多くが都市部でサラリーマン、あるいはその配偶者として生活する。寿命も長くない。つまり、「多くの孫がいるが、一緒に生きている時期は短い」世代だった。

 1920年代生まれの世代の孫は、団塊ジュニア世代にあたる。意外に思われるかもしれないが、団塊ジュニア世代のうち、祖父母と緊密な関係にあった人はそれほど多くないはずだ。考えてもみてほしい。自分は15人の孫の中の一人だ。しかも両親はたまにしか帰省せず、自分も祖父母に会わない。「物心がつく頃には祖父母は亡くなっていた」となれば、なおさらだ。団塊ジュニア世代に近い筆者(70年生まれ)も、4人いた祖父母のうち、話をした記憶があるのは母方の祖父だけである。祖父母の名前も知らない、という団塊ジュニア世代も珍しくないはずだ。

 団塊世代にとっても、結婚して子をもって、「じじばば」に面倒を見てもらうという発想はそれほど一般的ではなかった。何より多くの人が地元を離れているし、親の寿命が短いため、孫育てが必要な時期に亡くなっていることも多い。1920年代生まれの祖父母からしても、15人の孫の面倒を密に見ることなどできるはずもない。

 以上、多少粗くはあるが、団塊世代の親の世代、1920年代生まれの人々の「生涯」について素描をしてみた。彼ら・彼女らの人生と、団塊世代の人生、そしてその後の世代の人生は、ずいぶんと違う。これらの「生涯の変化」をもたらしたのは、何よりも人口学的な変化だ。具体的には、長寿化と少産化である。

「長寿化と少産化」といえばすぐに「少子高齢化」が連想されるだろうが、それ以前に、長寿化と少産化は個々の人々の生涯を変えてきたのだということを強調しておきたい。

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