選挙を脅かす襲撃事件と、日本の要人警護

福田 充(日本大学教授)

無差別テロの潮流から要人テロの復活へ

 2001年の9・11アメリカ同時多発テロ事件以降、世界のテロリズムの潮流は、国際テロ組織とその信者による一般市民を標的とした無差別テロとなった。日本の状況はそれより早く、オウム真理教により1994年には松本サリン事件が、95年には地下鉄サリン事件が発生しているが、これらも化学兵器サリンを使った無差別テロと位置づけることができる。

 2000年代以降のグローバルなテロリズムを主導したのは、アルカイダやイスラム国とその分派など、イスラム原理主義組織であった。ネットやSNSを利用して世界中にシンパを増やし、それぞれの国でテロリズムを実行させる「グローバル・テロ・ネットワーク」を形成した。その結果、04年のスペイン列車爆破テロ事件や、05年のロンドン同時多発テロ事件など欧米でも無差別テロが頻発した。ウサーマ・ビン・ラディンがアメリカの特殊部隊によって殺害され、アルカイダが弱体化し、イスラム国の活動が活発化した後も、13年のボストンマラソン爆弾テロ事件、17年のマンチェスター・ライブ会場爆弾テロ事件などイスラム原理主義に傾倒した若者による無差別テロ事件が続いた。15年には、日本人2人が犠牲になったイスラム国による日本人人質拘束事件も発生している。

 このように世界で無差別テロが拡大した背景には、各国の要人テロ対策の警備・警護体制が強化されたため、要人テロの実行が困難になったということがある。また民主主義社会において、市民一人ひとりの生命の価値が高まることによって、要人テロを実行するのと同じくらいの効果、インパクトを無差別テロが生み出すことができるようになった社会背景もある。

 9・11テロ以後のグローバルなテロ対策の強化、入国管理・水際対策の強化によって、テロリストは国境を越えた移動が困難になり、それぞれの国にいるシンパを「過激化」(ラディカリゼーション)させ、その母国でテロを実行させる「ホームグロウン・テロ」が主流となった。同時に、テロ組織への監視活動の強化によって組織的なテロの実行が困難になり、その結果、「ローンウルフ・テロ」(一匹オオカミ型テロ)が主流となった。これが後に言う「ローンオフェンダー」(単独攻撃者)の誕生である。

 しかしこのホームグロウン型、ローンオフェンダー型の潮流は、無差別テロだけではなく、要人テロの復活も意味した。このホームグロウン型かつローンオフェンダー型のテロリストは無差別テロだけでなく、要人テロにおいても特定や予防が困難だからである。こうして過去の遺物であった要人テロが復活する素地、環境が整ったのである。

1  2  3