2010年代ヒット漫画に見られる饒舌と沈黙。だから炭治郎は感情や思考をはっきり語り続ける

谷川嘉浩(京都市立芸術大学特任講師)

解釈の揺れをなくす

 だがそもそも、言葉が実況的で報告的になる必要があるのか。結論から言えば、別の解釈や感想が思い浮かばないようにするためには、粘り強く語り続ける必要があるという事情に由来している。人気YouTuberは、老若男女問わず楽しめるように、見ていればわかることを口にするだけでなく、「面白くない」「退屈」「なぜそれをするのか」「誰でもわかる」「意味不明」といった感想や思いが浮かばないように、語りや効果音、字幕を使ってわずかな沈黙や隙間も埋めていく。そこに沈黙や言い淀みが入る余地はない。スペクタクルだ。

『鬼滅の刃』でも同じことが起こっている。先に見たシーンでも、主人公が思いや行動を逐次語り続けていたが、特攻的に決死の覚悟で死地へと向かう子どもの姿にそぐわないイメージを読者が抱いてしまうと、話の腰が折れてしまう。余計な思いを抱かせないことの重要性。物語への疑問を抱かない、余計な関心を抱かない読み方が、『鬼滅の刃』という物語を支えていると言ってもよい。「痛くなさそう」「まだ普通に戦えるでしょ」「子どもがそんなに頑張らなくても」「何が起こっているかわからない」といった感想や疑問、解釈の余地があってはならない。

 こうして執拗に語られるのは、絵だけでは解釈の単一性を支えることが難しいからだ。SNSなどでは漫画の台詞を差し替えて「大喜利」が行われることがある。これは、台詞を置き換えれば場面の解釈が容易に変化しうることを示している。同じシーンが台詞を変えるだけでコミカルにもシリアスにもなりうるからこそ、解釈に揺れが生じないように、誰でも理解しやすいように、キャラクターたちは自分の感情や行動、判断を報告し続けるのだ。

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