ゲンロン社長 上田洋子 インタビュー(前編) 「すこし贅沢に作りましょうという気持ちになったことで、すごくいい本にすることができた」

コロナ禍で生み出された『ゲンロン12』と編集者・上田洋子の原点
過去最大のボリュームになったという『ゲンロン12』。その背景とは
2021年9月に出版されたゲンロン刊行の批評誌『ゲンロン12』は本体492ページと過去最大のボリュームにして、完全にコロナ禍での編集となった。充実した内容の読みどころと編集の裏話、さらに、ゲンロン入社に至るまでの上田氏の歩みについて聞いた。(聞き手・構成/鴇田義晴)

――今回の『ゲンロン12』はコロナ禍での編集となりました。これまでの号から何か変化はありましたか?

 編集方針として、コロナを大々的に特集するといった考えはありませんでした。唯一、11号から始まった「ゲンロンの目」というエッセイのコーナーでは、「家」や「家族」に関連する原稿を依頼しました。コロナ禍ではステイホームが叫ばれ、家や家族を大切にするという伝統的な価値観が戻ってきたように見える。けれども家や家族との関係は人それぞれで、いろんな考えがあるはずです。前号に続いてご寄稿いただいた柳美里さんの「ステイホーム中の家出2」も、コロナ禍をきっかけに家や家族を広い視野から捉え直すエッセイです。

 特集テーマの「無料」にかんしては、昨年10月に自社の映像配信プラットフォーム「シラス」を作ったことが大きいです。コンテンツを無料にせずに、有料で提供することの意味について、『ゲンロン』の編集長で、シラスの発案者でもある東浩紀さんが深く考えてみたい、と。ゲンロンカフェで昨年末に実施した、経済学者の飯田泰之さん、井上智洋さんと東さんの座談会を一つの軸としつつ、テーマに沿った論考をいくつかお願いして、特集の形ができあがっていきました。『ゲンロン戦記』の関連で東さんが対談をした楠木建さんや鹿島茂さんが特集の趣旨に共感し、ご寄稿くださったのは嬉しかったです。

 論考の著者の方々との打ち合わせや原稿のやり取りについては普段からオンラインがメインだったので、編集作業にそれほどの変化はありません。巻頭の宇野重規さんと東さんの対談は4月に対面で収録しました。演出家・鈴木忠志さんのロングインタビューでも、東さんと私が富山県の利賀村(現・南砺市)にある鈴木さんの劇団SCOTの本拠地まで足を運んでいます。なお、コロナ禍以降、ゲンロンカフェでは無観客でトークイベントの配信をおこなっています。とはいえ、10号と11号には2本収録されていたイベントの書き起こしは、12号では1本になりました。 

――鈴木さんのインタビューは、一人称が「おれ」でガンガン語っていらっしゃいますね。臨場感が伝わってきます。

 最初はコロナ禍での演劇活動について、エッセイか短めのインタビューをお願いしようと考えていたんです。それが、利賀村に行って1年半ぶりにお会いしたら、鈴木さんがガッツリ話して下さった。だから、長い記事にして写真もしっかり入れようということになりました。

 鈴木さんのインタビューの一人称って、基本的に「私」なんです。ただ、今回は、コロナ禍で、ふだんは公演や稽古で国内外からたくさんの人が来る利賀村にずっと人が来ていないこともあってか、鈴木さんは会った瞬間からずっと話し続け、会話の切れ目がない。貴重なお話をどんどんなさるので、「ではそろそろインタビューを......」と言ってみても、「いやあ、あとでいいよ。また話すから大丈夫」と一向に進まない(笑)。あきらめて途中からこの会話を録音しました。それが2日分になったので、まとめるのはなかなか大変でしたが、時間の決まったインタビューではなく、自由な会話の形でお話を伺えたことで、ダイナミックで多岐にわたる、面白い記事になったと思います。

 実際の発話では「おれ」と「私」が混ざっていたのですが、これを「私」に統一してしまうと、あの時の親密な会話の感じが伝わらないなと思いました。そこで、「『おれ』で行きたい」と東さんに相談し、鈴木さんもオッケーをくださったので、おそらく世界でも珍しい一人称「おれ」の鈴木忠志インタビューになりました。

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