ゲンロン社長 上田洋子 インタビュー(後編) 「解散の選択肢は『絶対にありえない』とずっと言っていました」

ゲンロン解散危機からの代表取締役就任、「シラス」開設のその先

まずはゲンロンカフェの再開、その先に

――シラスのような自由な場所作りは、独自のプラットフォームを構築されたからこそ可能になったもののようにも見えます。

 東さんの言葉ですが、プラットフォームを持つことは独立性を保つことであり、「言論の自由」にも繋がっていくんですね。たとえば今、YouTubeでは、新型コロナウィルス関係の言説の扱いに非常にセンシティブになっています。場合によっては動画を上げさせてくれないし、削除されることもあるようです。自由に話せる空間を保つということで、シラスを作ったのです。

 ドストエフスキーの『悪霊』にも描かれていますが、19世紀のロシアにおいて、革命勢力は、自分たちで印刷機を持ち歩いてビラやパンフレットを印刷し、思想を広めようとしました。印刷技術が向上したことで、検閲を逃れる形で、ある程度、独自に印刷物を出せるようになったのです。シラスも、もし検閲が来たとしても、自分で喋れる場所を作っておこう、という思いが根本にあります。

7780706239abed67429db0180ffb978b5af4b469.jpg再び観客を迎える日を待つ、ゲンロンカフェ

――最後に、上田さんが考える「ゲンロン」の今後の構想についてお考えをお聞かせ下さい。

 まず、目の前の目標としてはゲンロンカフェの再開があります。タイミングはもちろん、会場が狭いので、どうするか。機材も増えているので、もう少し広いスペースが欲しいなと考えています。ただ、再開はこの場所でしたい。コロナ前に来てくださっていた方はホームに帰りたいという思いがあるでしょうし、配信で参加してくださっていた方は、カフェの背景になじみがあるでしょう。コロナ期に内装をリニューアルした後、まだ観客のいるイベントはできていないんです。

 会社の今後でいうと、もう少し規模を大きくしたいですが、とはいえあまり大きくしてしまうと妥協も必要になってくるので、クオリティをどう担保していくか、が重要だと考えています。東さんはどちらかというと「会社を大きくしたい」と言いがちですが、私は「身の丈」が指針なので、前編の事務の件でお話ししたように、私の方がやはり保守的だと思います。むしろバランスが取れているのでしょうね。

 あと、ゲンロンで手がけてきた私の仕事としては、チェルノブイリツアーをもう一度くらいやりたいです。ゲンロンがツアーをやって以降、日本からチェルノブイリに行くツアーをやる会社はどんどんあらわれているのですが、やはりうちでやりたい思いはある。

 ほかにも、タイ文学が専門の福冨(渉)くんがスタッフに入ったことで、タイのツアーも考えていたのですが、コロナ禍になってしまった。コロナ前の企画をコロナ後にそのままスライドするのは難しいでしょうが、これからも外に出るプロジェクトはやっていきたいです。ゲンロンのツアーは、普段は個人旅行を好む独立気質の人たちが集まりがちなんです。ともに旅をすることで、参加者どうしが否が応でも同じテーマで会話をする状況が生まれると、それが意外と心地良いという、東さんの言う「誤配」が生まれる場でもあったんですね。私が大事だと思っているのは単にイベントを開催したり、本を作るだけではなく、人と人が繋がり、予期せぬ展開が起こっていく状況を生み出し、担保することなので、そういうことを続けていきたいと思います。

 あとは、ポスト東浩紀のゲンロンをどうするかという問題もすごく大きい。ゲンロンは、東さん一代で終わってしまうべきではないと思っているので。演劇で言うならシェイクスピアの古い戯曲が現代でも上演され読まれているように、時代ごとのアップデートを意識していきたいです。

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