鴇田義晴 「別冊宝島」「Talking Loft」「文藝別冊」......ムックに刻印された90年代文化
オウムと酒鬼薔薇
90年代には社会の根底を揺るがす大事件も起こった。95年3月の地下鉄サリン事件に代表される一連のオウム真理教事件、97年に起こった神戸連続児童殺傷事件、通称酒鬼薔薇事件に対応するムックも発行されている。
95年8月発行の『別冊宝島 オウムという悪夢』(229号)には「同世代が語る『オウム真理教』論・決定版!」の副題が付く。オウム真理教教祖の麻原彰晃は逮捕時に40歳であり、ほとんどの主要幹部も30代で占められる若い宗教団体だった。彼らが起こした事件に対し、30代から40代の書き手が同時代人として執筆に参加。目次には、オウム的なものを生み出した「社会と私たち」の内面に迫る論考が並ぶ。80年代にオカルト雑誌『トワイライトゾーン』(ワールドフォトプレス)で麻原彰晃を取材し空中浮揚写真を掲載した記者による回想録や、オウムの教義の源流の一つを70年代のオカルトブームの最中に発行されベストセラーとなった五島勉(べん)『ノストラダムスの大予言』(祥伝社)に求める宮崎哲弥の論考など象徴的なものだろう。
97年10月には『好奇心ブック7 神戸事件でわかったニッポン』(双葉社)が発行される。副題は「酒鬼薔薇をめぐる24人の大激論!!」だ。
97年の2月から5月にかけ神戸市須磨区のニュータウンで5人の児童が相次いで殺傷されたのが、事件の概要だ。最後の事件では切断された児童の頭部が中学校の正門に置かれたのち、マスコミに犯行声明文が送られ、メディア報道では連日のように犯人捜しが行われた。約1ヵ月後に地元の中学校に通う14歳の少年が逮捕されると、さらに報道は過熱した。
ムックの目次を眺めれば、この事件がもたらした様々な問題が概観できる。学校教育、ニュータウン、犯行声明文、精神鑑定、少年法、過熱報道、サブカルチャーといった項目ごとに識者が寄稿している。「精神鑑定」に精神科医や心理学者、「少年法」に弁護士など専門家が寄稿しているが、こうした順当な人選のほかにも、作家の見沢知廉(ちれん)が「この声明文は、はっきりいって美しい」と少年の文才を絶賛するなど特異な意見も並ぶ。
これらのムックは、速報性からは一歩遅れる出版というメディアの性質上、世間を揺るがした大事件を事後的に総括するにあたって最適なものだろう。
[註]
(※1)『朝日新聞』1989年1月30日朝刊
(※2)http://altculture.web.fc2.com/altculture.html
1982年千葉県生まれ。出版社勤務を経て執筆業。「90年代サブカルチャーと倫理――村崎百郎論」で2022すばるクリティーク賞を受賞。