鏡リュウジ 占いは世界のモデル化――呪術現象に満ちた社会を考える
占いというモデル思考
――鏡さんご自身も占星術師であるわけですが、占いもまた「精緻な誤りの体系」と言えるのでしょうか。
20年ほど前に、山形浩生(ひろお)さんが宗教学者のミルチャ・エリアーデを引用しながら、「あたるから信じる、役にたつから信じる――そもそも星占いってのはそんなものじゃない」とお書きになったことがありました(「かわいそうな星占いと現代人。」『CUT』2001年1月号)「星々と自分が結びついている、と人はだれかに言ってほしいのだ。それがあたるかどうかは問題ではない」という指摘は、ものすごく正しい。つまり、科学的には全くナンセンスであると誰もが知っている「星との結びつき」を、それでも人々は求めている。だから占いは滅びないし、そこに占いが内包する根本的な絶望があるのだけれど、肝心の占星術師は誰もそのことに気づこうとしない、というわけです。ただ少しだけ山形さんに反論するならば、占星術師も現代人ですから、そんなことはとっくに――少なくとも数人は――気づいていますよ、と言いたいですね。さらに言うなら、人類学者が指摘しているように、呪術的な思考と因果論的な思考は共存しうる。
科学や合理主義は「どのように」は説明できても、「なぜ」は説明してくれません。新型コロナにどのような経路で感染し、発症するのかは教えてくれても、なぜ予防もしていないあの人でなく対策を講じた自分が感染したのか、なぜ昨日ではなく今日なのかは教えてくれません。
確率からもたらされる感染や発症に関して、少なくとも科学的に「なぜ」を説明する方法はありません。多くの人は自分の中で何らかの説明をして、不条理を納得させているのではないでしょうか。でもそれは、他人から見れば「星との結びつき」と同じくらい非合理で、非論理的な説明のはずです。非合理や不条理を受け入れることを否定できる人は、いないのではないでしょうか。
占星術であれ易であれ、占いは象徴がもたらす意味のネットワークを、操作することに他なりません。普段は別のコンテクストに属する象徴が、特定のタイミングで別の象徴と結合したり連関したりすることで、別のコンテクストが発生する。言い換えれば、占いが日常という文脈に風穴を開ける、ということでもあります。
ただ、そこには陥穽もあります。洋の東西を問わず、占いとは世界を縮約するもので、いわば世界のモデル化です。モデルが現実を完全に描くことはできません。あらゆるモデル思考がそうであるように、使いこなせるものであるためには、ある意味で底は浅くないといけないのです。
西洋占星術で言えば、天球上の黄道を12に分割した十二宮と七つの惑星、さらに地球から見た黄道を太陽が通過する時間に合わせて12分割したハウスという、とても少ない数で森羅万象を説明するわけですから、当然そこには限界もある。森羅万象はそのままでは理解も感知もできないからこそ、科学や数学、哲学や心理学といったモデルの体系が構築されてきたわけで、占いもまたモデルの一つに過ぎません。
だから僕自身は、「占いは深いものだ」と語る占い師は信用できません。占いは浅いからこそ、日常や人生のターニングポイントにおいて有用でありうるのだと思っています。
――『ボルヘス怪奇譚集』にも、皇帝が地図職人たちに帝国の地図を作らせ、職人たちは精緻な地図を作るのだけれど皇帝は満足せず、どんどん地図の縮尺が大きくなり立体化し、ついにはもう一つの帝国ができてしまうという寓話がありました。用途に応じて現実から取捨選択しているからこそモデルは役に立つのであって、世界と同じくらい深いものはもはや扱えないということですね。
僕はカール・グスタフ・ユングが好きで、占星術とユング心理学には共通点があるとする視座から『占いはなぜ当たるのですか』という本を書いたのですが、その文庫版の解説で宮台真司さんが同じようなことを書いてくださっています。いわく、ユング心理学が描く人の心と占星術のそれは同型であり、ユング心理学のモデルは誤りであるかもしれないが、人はかように世界を体験しているという描写モデルとしてはよくできているのだ、というわけですね。
体験世界の描写モデルだけでは科学も医学も発展しなかったことは疑いようもありませんが、例えば天体の動きにしても、コペルニクス以降の地動説よりも、プトレマイオスの天動説のほうが私たちの実感にはフィットしているはずです。コペルニクスのほうが正しいことは知っているにもかかわらず、誰もが「日が昇る」と言い、「地球が自転し太陽光が入射した」とは言わない。辛いことがあっても「明けない夜はない」などと自分を励ますことができるのは、日が昇りまた沈むという毎日のドラマチックな体験が、心身のイメージの根幹にあるからだと思います。
言ってみれば、占いは精緻なモノマネの体系なんです。「あなたはこれから2、3年は冬の時期です」と言われると、3年も続く冬は現実には存在しないにもかかわらず、人生の春を待望し耐え忍ぶイメージができる。天体の動きに人生をモノマネさせているわけですが、それが人を支えることもある、ということです。ただ、時に人はモノマネを現実そのものと錯覚してしまい、そこに落とし穴があると考えています。
(構成:柳瀬徹)
1968年京都府生まれ。国際基督教大学卒業、同大学大学院修士課程修了(比較文化)。英国占星術協会会員、日本トランスパーソナル学会理事。京都文教大学、平安女学院大学客員教授。『占星術の文化誌』『タロットの秘密』『占いはなぜ当たるのですか』など著書多数。