鈴木涼美×山本貴光×吉川浩満 読書のコスパを考える

鈴木涼美(作家)×山本貴光(東京工業大学教授)×吉川浩満(文筆家・編集者)

読者に向けて、本に向かって

鈴木 今回、書名を『娼婦の本棚』としたのは、自分の経歴を意識しただけでなく、かつての私みたいな不良の女の子にも興味を持ってもらいたかったからです。勉強熱心ではなく、本なんて読んでいる場合じゃない――恋愛もするだろうし、街にはいろんな誘惑がありますからね――という女の子にこそ本を読んでもらいたいと思っています。

 というのも、一緒に夜の世界で働いたり遊んだりした友達が、そのままダークサイドに消えていく光景を目にしてきたからです。若い時に何をしてもいいと思うんですけど、できれば幸福に生き延びてほしい。私もあまり慎重じゃなかったから、危ないことをしてきましたが、読んでいた本が世界につなぎとめてくれていた面はあると思います。

 本書は10代くらいの女の子に「ですます調」で、女教師のコスプレをしながら教えているイメージで書きましたね(笑)。ただ、最近の大学生と会うと、勉強を頑張っている人もいない人も、どっちも本を読んでいないと感じます。

 今日はお二人にお聞きしたいことが一つあります。この本は女の子をメインの読者として想定したため、男子のことを考えずに書いています。お二人の本やYouTubeに触れるのは、かなりの読書好きが多いでしょう。では、本に特に興味のない男子にはどんな本を薦めますか。

山本 難しい問いですね。私は今、東京工業大学で先生をしています。東工大生は、いわゆる偏差値は高いけれど、本はあまり読んでいない人が多い印象です。そういえば以前、吉川くんは、大学生になるまでほとんど読書をしていなかったと話していたけれど、どんなきっかけで本を読みはじめたのでしょう。

吉川 私は鳥取の田舎出身で、ゲームも読書も遊びもせず部活ばかりしている卓球少年でした。それがたまたま大学受験して東京に来たら、みんな大人に見える。いわゆる「文化資本」の違いを感じました。それを感じてから、卓球に注いできたエネルギーを本に注ぎ込んだわけです。大学デビューですね。田舎から出てきた男子大学生のある種の典型だったかもしれません。

鈴木 最初のうちは何を読んでいたんですか。

吉川 それこそ、先の生協のお兄さんの導きで、大森の『言語・知覚・世界』や廣松渉の『世界の共同主観的存在構造』、ライルの『心の概念』などの哲学書を生まれて初めて読みました。プライベートでもいろんなことを教えてもらった。湘南台の定食屋でマッチ棒とマッチ箱を使って「弁証法というのは~」と説明してくれたり。何を言ってるのか全然わからなかったですけど......。私の場合は、鈴木さんのように幼い時から本との間に繊細な関係を築くことをしてこなかったんですね。

鈴木 大学入学前と後でパキッと分かれている、と。

吉川 そう、良くも悪くも。読書案内の本って、いくつかパターンがありますよね。定番としては、絶対的に信頼されている人が「サラリーマンはこれを読め!」と断定的に薦めてくるタイプ。それはそれでいいと思うのですが、『娼婦の本棚』の場合は、揺らいでいる読者に対して、その揺らぎにじわじわと沁み込むように書いてある。これって、本との関わりがパキッと分かれている私から見ると超高等技術です。すでに読書に興味がある人に向けて本を紹介するのは簡単ですが、鈴木さんの本は、本の面白さを伝えるのが難しい読者層にも響くように書かれていると思います。

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