鈴木涼美×山本貴光×吉川浩満 読書のコスパを考える

鈴木涼美(作家)×山本貴光(東京工業大学教授)×吉川浩満(文筆家・編集者)

ファンタジーと「理性」

山本 私もちょっと真似のできない書き方だと思いました。本書を一言で紹介するなら、他人や社会が押し付けてくるファンタジーとどう付き合うかについて書かれた本、と言えるかもしれません。

 母親、男、世間などから押し付けられる、お金、言葉、身体、ファッションに関する様々なファンタジーを実にリアルに描き出していると思いました。他人や社会は時として、「あなたはこういう人でしょ」と型にはめたり、「あなたは何者なの」と問うてきたりする存在ですね。たとえば、大学生のうちから就活のために自己分析をして、自分は何者で、何ができて......とエントリーシートに書かされたりして。本書では、そうした現実を捉えていらっしゃる。さらには、他人事ではなく鈴木さんご自身もファンタジーに苦しんだ経験に触れておられます。

 先ほど奇しくも創作のジャンルとしてのファンタジーについて「人生の参考になんないじゃん!」とおっしゃっていました。この本は、現実で押し付けられたり自分で作り出したりするファンタジーにそこまで真面目に付き合わなくてもいいし、付き合うにしても適当に流しておけばいいと教えてくれます。距離の取り方を示しているんですね。

鈴木 確かに、現実に対して距離を取る方法を知れたのは、読書経験のおかげです。金井美恵子さんやウエルベックなどの本がそうですが、マジになりそうな時にちょっとズラして、自分にツッコミを入れることを学べます。本以外では、こういう学びって割と得にくくないですか。映画は、私はかなり見入っちゃうから、本と同じようには接しにくいです。

吉川 文字というメディアの特性なんでしょうね。確かに映画だと没入しやすいですから。私が本書を読んで受けた印象は、「理性」の書だということ。鈴木いづみさんについて、「自分を上から見下して、揶揄する体力」があり、それが「私が願って欲しがっていた理性のようなもの」だと書かれていますよね。これこそファンタジーと付き合う時に必要な理性の力だと思うんです。この本の想定読者にもすっと入ってくる定義でしょう。そして、自分を見下す体力をつけるには、自分の言葉を持たなければいけない、と。

山本 そして、言葉を持つためには言葉の海に漕ぎ出していく必要がありますよね。そう考えると、先ほどの「本に特に興味のない男子にはどんな本を薦めますか」という質問に答えるなら、まさに『娼婦の本棚』こそ、本との付き合いのない人に薦めたい一冊かもしれません。特に、ここで示されている読書のスタイルがとてもいいなと思います。「痺れる一文との出会いを求めて本を読んでいます」とあります。冒頭から通して読む必要はないのだと。最初から最後までちゃんと読もうと無理をした結果、読書が嫌いになることもあると思うんです。鈴木さんの方法なら、どんな読み方であっても、どこかで「これ、いいな」と思える言葉と出会えたらラッキーってことになりますよね。

鈴木 そもそも私は記憶力が良い方ではないので、内容をあんまり覚えていないんですよ(笑)。それでも、痺れるような一文があの本にはあった、とかは覚えています。言い回し一つでも、痺れる一文でも、何かちょっとでも拾えたら、全然無駄じゃないって思うと、読書はすごく気楽なものになるはずです。

山本 痺れるフレーズって、それを読んだ時の自分にとって、しっくりくる言葉なんでしょうね。自然な読書法だなと思いました。気楽に読めばいいし、それでも残るものがある。本書では、闇に沈みそうな時、本を読んで心に残った言葉が自分をつなぎとめてくれたというご経験が、実感を込めて書かれています。

 若い男子の中にも、自分自身についてのファンタジーが固まってしまっている人がいると思います。そんな時、違う世界を見ることができる『娼婦の本棚』みたいな本と出会えると、ものの見方をちょっとズラしてもらえそう。

吉川 それは大事ですね。

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